人生と”創造”の会オリノです。
第1日目から第12日目までに書いてきました。
この宇宙・物質的領域は【巨大な意識】により創造されたこと、そして人間を罰し、救済する神は創造主ではなく、実在した人間的存在か、人間が考え出したものであることが理解できたでしょう。
さらにこれから、人間の存在する意味・目的・価値とはなにか、人間の本質である霊はいかなるものか、転生の有無、究極的に宇宙・人間・霊はどうなるのか、ということを探求することになるのだが、それは現代人の理解の及ばないところにある。
形而上のものなのだ。
人間の思考・理解力はもっぱら物質的・日常的・常識的な範囲では有効に働くが、対象とするものが霊的なものとなると、チェーンが外れた自転車のように空回りすることになる。
その理由として、人間は肉体と共にいきている状態では霊・本質の世界を観察・経験することができないこと。
また、人間の使用する言語は物質的領域に関するものであり、霊的領域を表現する語彙は限られている。
霊的なことを言語で表現すると、その輪郭はぼやけ、意味もずれて伝わりかねないのだ。
例を挙げるなら霊と魂がある。
人と状況により同じ意味の時もあれば違う時もある。
霊も魂も、それが何を意味するのか定義されないままなのだ。
両者は人間の本質、またはその一部を意味しているが、現代において混同されてしまうのは仕方のないことだろう。
そういったこともあり、確証・証拠を得ることは非常に困難であるために、ほとんどの哲学者もこの形而上分野には言及しなくなってしまった。
今の時代の人間では知り得ることは出来ないかも知れない。
だが自己の存在に人間が目覚めた時、その謎を解き明かしたいという欲求は抗いがたいものだ。
たとえ人生が順風満帆であり、裕福に満ち足りて生活していても、この欲求は満たされることがなく、雑草がアスファルトを突き破って成長するように意識に浮かび上がってくる。
社会上の成功や名声や地位を得た者は、その事実を根拠に自分は価値ある人間であると自己評価し、自己の存在意義として、この欲求をg誤魔化し、黙らせることが出来る。
しかし、それは残念ながら歪んだ、いびつな、一時的な処置であり、近い将来か、死を意識した時に再び浮上し、否応なく解決を迫ってくるだろう。
この根源的な人間の問い、自己の存在理由を求める本能のような欲求を世俗的・物質的なもので満たすことは出来ないのだ。
必要とするのは、根拠を提示することは現状無理でも、現代人を納得させうる論理的・全体的な説明である。
もちろんそれは仮説と呼ぶべきものだ。