人生と”創造”の会オリノです。

 

さあ大変です。

前回の投稿で人間を罰し、救済する神は存在しないと書きました。

天国の魅惑と地獄の恐怖、言わば飴と鞭を使って人間を屈服させ、服従を要求する神はまがい物であることを明らかにしました。

つまり私は、そのような信仰を持つ人から見れば、神の敵対者になった訳です。

まあ、でもそういった方々がこのブログを見て、論争を仕掛けてくることなんて期待薄ですからね。

そうなってくれればありがたいですけどね。

 

この【神】についてもう少し書きましょう。

旧約聖書の創世記にあるイサクの燔祭の話がある。

昔、アブラハムという人がいた。

この人は後に「啓典の民」の始祖・「信仰の父」と呼ばれる。

ユダヤの長として一族を治め、強い信仰を持っていたが、後継ぎを得られぬまま妻も高齢になっていた。

そんな時、神のお告げにより長男を授かる。

その子はイサクと名付けられた。

イサクが少年に成長したころ、また神のお告げがあり、神への従順の証として息子を生贄として捧げろと言われた。

アブラハムは息子と神、どちらかを選ばなければならない辛い立場に置かれた。

翌朝、彼は息子を連れてモリヤ山に登った。

そして、頂上に着くと息子の手足を縛り、石の祭壇に横たえた。

覚悟を決め、刃物で息子の喉を切ろうとしたその時、神のみ使いが現れ、彼を止めた。

 

アブラハムの見せた神への忠誠と信仰が、模範として現在まで伝わっている。

あなたはこの話をどう思うだろうか?

このブログを全部読んだ方は、多くの人の解釈とは違う解釈ができるだろう。

考えてみて欲しい。

 

もっとも、現代風に解釈すれば、

アブラハム毒親じゃね~!(笑)。神が超パワハラなんですけど!(笑)

 

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