「人生と”創造”の会」発起人オリノです。

 

今回から本題に入っていきたいと思います。

 

だいたい20年くらい前からだと覚えているのですが、インターネットの普及とともにニューエイジ・スピリチュアルという言葉が聞かれるようになりました。

人間の霊的側面を現代的に語り、探求しようとする気運が盛り上がり、今も続いています。

それ以前は、「人間が死んでも霊として存在し続ける。」なんて言っても誰も相手にしてくれないし、気味悪がられて終わりです。

「UFO見た!」、「幽霊見た!」と言えば、「科学の進んだ時代にそんなことがあるか!!」と2018年の現在から見れば訳の分からない決まり文句が返ってくる、そんな時代だったのです。

 

しかし、19世紀末から20世紀初頭に盛んになった交(降)霊会等を源流とするニューエイジ・スピリチュアリズムが20世紀末にネットに乗って広がり、ごく普通の人々が霊的自己探求の旅に出られるようになりました。

 

オーラ・守護霊・輪廻転生・ネガティブ・ポジティブ・ソウルメイト・引き寄せの法則・チャネリングといった言葉は、一足早く旅に出られた方にとってはお馴染みの言葉でしょう。

そのような方々にとって、私が書いていく内容は釈迦に説法になってしまいますが、これから旅を始める方、始めたばかりの方の参考になればと思います。

 

人間が肉体だけの存在であるならば。

私が私に気づいてから、私とは肉体である。
常に私は体とともに在り、私が体を離れる事はない。
なぜなら、体が私で、私が体だからだ。
目が光りを感じ、脳に伝わることで、明るい・暗い・赤い・青いと思う。
鼻が空気中の物質を感じ、脳に伝わることで、芳しい・臭いと思う。
耳が空気の振動を感じ、脳に伝わることで、静か・うるさいと思う。
口が、舌が、皮膚が、手が、足が、喉が、胃が、心臓が、肺が、性器が・・・・・
私の体が感じる様々な感覚は脳によって処理され、それを私だけが感じ、知っている。
だから私の最重要部は脳なのだ。
脳の働きが私を私と認識させている。
脳の中に蓄積される記憶が、私が私であることの証拠だ。
脳が未発達だったから幼児期の記憶は断片的なのだ。
ゆえに私は慣れ親しんだこの肉体こそ、私だと思う。
この肉体でないものは、私ではない。
 
自分の存在を考え始めた時、こんな感じでしょうね。
 
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です。