人にはそれぞれ良い所と悪い所がある。
人の悪い所に目が行くと限が無いので
なるべく人の良い所を見るように心がけている。

どんな人にもきっと良い所がある
どんな悪人にも味方になってくれる人がいる。

人の良い所を見つけ出し
そこを伸ばすことで
その人が活躍できる環境を作り出す。

人に使われる側から
使う側になった時に
そうしようと思ったものだ。

20代後半に独立し
30代になった頃から
社員を雇うようになった。

個人個人の個性に合った職場作りは至難の技で
どうしても職場環境に会った人材募集になってしまう。

そうするとどうしても
集団に偏りができてしまい
個性豊かでバラエティな集団になり難い。

自分好みの画一化された人選になってしまい
いつの間にか同じようなカラーになってしまう。

人には各々オリジナルのカラーがあり
それぞれのカラーを組み合わせることによって
色彩豊かなひとつの作品が生まれるのであって
自分の好きな色だけで作り上げるのは限界がある。

自分の好きな色だけピックアップする
それはすなわち自分好みの人だけを
選び出すことに他ならないのではなかろうか。

去年に比べて就職状況は
若干良くなるようだ。
えり好みさえしなければ大丈夫だろう。

すべての人を平等に扱うことは
なかなか大変なことで
その会社に合致する人材だけが求められる。

ゴマをすることなく
人に求められるような
人望を身につけたいものだ。
贔屓は選ばれし人間の証だと思う。
ミクシィに限界を感じ始めてはや1年。
今はアメブロとツィッターとミクシィと
フェイスブックを使い分けている。
ミクシィはいろいろなメニューが
用意されているのだが
どれをとっても中途半端というか
秀でたものが無い。

タイムラインを見ていると
つぶやきの利用頻度が高いのだが
それでもツィッターと比較すると
時間あたりの件数は非常に少ない。
やはりつぶやきではツィッターに分がある。

ミクシィとツイッターとフェイスブックの
つぶやきをリンクさせているが
ミクシィは反応が気になるが
ツィッターは反応が気にならない。

きっとツィッターの方が
相手との関係が希薄で
つぶやき自体がライトなのだろう。

操作性から言っても気軽さから言っても
ツィッターの方が気軽に利用できるからだろう。
この点でミクシィは後れを取っているように思う。

ブログはアメブロで毎日更新していて
以前のミクシィの日記を日々移行中である。
外部ブログからのリンクの場合
ワンクリック余分に操作する必要があり
操作性も芳しくない。

外部ブログは独自のデザインが豊富に用意され
デザイン的にも優れている感がある。
情報発信ツールとしてブログを利用する場合
ブログ専門サイトに一歩譲るものがある。

写真をアップしてアルバムとして利用する人も多いが
最近はフェイスブックに移行しているようだ。
アルバム機能は使っていないので
なんとも言えないがいかがなものなのだろうか。

アプリやゲームはモバゲーやグリーなのだろう。

つまりミクシィはバラエティストア的SNSで
特定の友人とのコミュニケーションツールとしては無難であり
SNS初心者の入門用としてはバラエティに富んで良いと思う。

ある程度慣れてきて自分がどのようなカテゴリーで
利用するのか定まってくると他に流れてる気がする。

他人の情報を見る専門の見るミクの人。
つぶやき専門のつぶミクの人。
日記を書いている日記ミクの人。
写真をアルバムにしているフォトミクの人。
アプリやゲーム中心のゲーミクの人。

それぞれがその分野に特化したサイトに
どんどん移行していてそちらをメインに利用している。
最終的にはみんな見るミクになり
情報量が少ないのでログインしなくなってくるのではないか。

自分のマイミクを見ていても
24時間以内にログインしている人が
半年前は8割ぐらいだったのが
今では4割を切ってきた。
年齢層が高くなるに従ってログインしなくなる。

学生時代あれほど利用していたのに
卒業するとほんと利用しなくなる。
きっと授業中暇なのでミクシィやってたんだろうと
勝手に分析している。

せっかく毎日ブログを更新しているので
ブログとツィッターをうまく活用した
ホームページを作ることにした。

ついでと言っては何だが
ミクシィページとフェイスブックページを
両方同時に立ち上げ反応を見ながら
進めていこうと思っている。

開設は10月21日の宮前区民祭をめどに考えている。
その時は見に来てくださいね。

生まれてからず~っと横浜。
一時期埼玉と長野にアパート借りてたことあるけど
仕事で利用しただけで現住所は横浜オンリー。
ここで衝撃の事実、出生地は相模原だった。
母が相模原の病院に勤務していた関係で出生地は相模原。
結婚した時に戸籍見てちょっとショックを受けた。
生まれ故郷ってそれだけ愛着があるもんだ。

あさひが丘幼稚園
十日市場小学校
十日市場中学校
港北高校
神奈川大学
大崎電気工業

社会に出るまで横浜だったので
仕事は都内でと思っていたが配属先は埼玉。
結婚を機に6年で退職し会社設立。
10年ちょっと渋谷・青山周辺に事務所構えて
友人と上場目指し頑張るも結局断念。
またまた一人で再出発、プライベートも再出発。
そろそろ自宅改造して余生を過ごす準備中。
結局横浜に落ち着きそう。

俺は大。
親父は春男。
じいちゃんは茂作。
ひぃじいちゃんは文蔵。
ひぃひぃじいちゃんは茂兵衛。
その前は文蔵と茂兵衛が交互に続く。

元禄年間には横浜に住んでいたらしい。
正確に言うと当時は横浜市ではなかったが
親父の実家がある都筑区にそのころから住んでいた。
正確に言うと都筑区ではなく武蔵国都筑郡佐江戸村といった。
ららぽーと横浜から徒歩で5分ぐらいの中原街道沿いのところだ。

現在の横浜の人口はおよそ370万人で全国の市町村では一番多い。
俺の生まれた昭和39年ごろの横浜の人口はおよそ180万人で第4位。
親父の生まれた大正12年ごろはたったの40万人なのだが全国的には6位。
じいちゃんの生まれた明治19年ごろはわずか12万人しかいなかったがやっぱり6位。
ひぃじいちゃんは文久年間の生まれなので苫屋の烟がちらりほらりと立てりし處だったのだろう。
おそらく日本の都市の中で横浜ほど短期間で急速に発展した都市はほかには無いのではなかろうか。

大都市の人口推移を見てみると(数字は万人)

全国、1889年3963、1925年5600、1965年9827、2011年12763。
1位、東 京 139、東 京 217、東 京 889、東 京 895。
2位、大 阪 48、大 阪 125、大 阪 316、横 浜 369。
3位、京 都 28、神 戸 61、名古屋 194、大 阪 267。
4位、名古屋 16、京 都 59、横 浜 179、名古屋 226。
5位、神 戸 14、名古屋 43、京 都 137、札 幌 191。
6位、横 浜 12、横 浜 42、神 戸 122、神 戸 154。
7位、金 沢 9、長 崎 18、北九州 104、京 都 147。
8位、仙 台 9、広 島 16、川 崎 85、福 岡 146。
9位、広 島 9、金 沢 13、札 幌 79、川 崎 143。
10位、徳 島 6、仙 台 12、福 岡 75、さいたま122。

じいちゃんが生まれた頃は金沢や徳島が大都市だったんだぁ。
親父が生まれた頃も長崎と金沢が頑張ってたんだなぁ。
俺が生まれた頃はほぼ今の政令指定都市が十大都市だった。
今はきっと一極集中で周辺は過疎化しちゃってるんだろうな。

なんかこんなこと調べてたら
大阪の橋下市長が大阪都構想ぶちあげてるけど
横浜・川崎・相模原の3政令指定都市を大合併して
神奈川都にしちゃったほうがよくねぇ。

黒岩知事は神奈川州なんて言ってるけど

横浜の林市長と川崎の阿部市長は

共同で特別自治市構想を提案して足並みが乱れてる。
もっと言っちゃえば東京23区と千葉市、さいたま市も合併して
超巨大都市にしちゃえばいいじゃん。

なんちゃって。

仕事の中心が川崎になって3年になる。
川崎と言っても内陸部の宮前区と多摩区。
宮前区は北部市場にある喫茶店。
多摩区は専大書房前でのメロンパン。
専大書房前はもう5年になるから
僕より長くいる学生さんは数えるほどになってしまった。

以前はクレープ、たこ焼き、ケバブ、ばくだん焼き、
タピオカ、メロンパン、コーヒー。
いろいろやっていたがみんな来なくなってしまった。
また学校始まったらメロンパン売りに行くかな。

北部市場では今年も10月21日の日曜日に
宮前区民祭と市場まつりが行われます。
例年20万人の人出でごった返すのだが
どうみても3万人ぐらいな気がする。

毎年ずうーっとメロンパン売っているので
周りで何やってるのかよくわからないが
だいたい次のようなことをやっている。

マグロの解体ショー。
野菜や果物の詰め放題。
全国の特産物の販売。
地元アイドルのショー。
地元音楽隊のパレード。
大道芸。
フリマ。
出店。

出店はテントが100店舗ほど、
通常の市場のお店の営業が100店舗ほど。
当然メロンパン号も出動するし
喫茶店も早朝から営業する。

今年は専大生が考案した
スイーツのお披露目もあるので
史上初のバイト10人体制。
気合入ってます。

場所は川崎市宮前区水沢1-1-1
川崎中央卸売市場北部市場

時間は8時~15時。

東急田園都市線宮前平駅から無料送迎バスありの予定。

専大からだと9号館のトンネル出たとこのバス停
もしくはバッテングセンターのとこのバス停から
あざみ野行き小田急バスで15分ぐらい清水台下車。

向ケ丘遊園駅北口からあざみ野駅行きでも清水台下車。
新百合ヶ丘駅から宮前平駅行きも清水台下車。
溝の口駅からも出てるしとにかく清水台下車。

時間のある人もない人も
一度来てみてください。
気合い入れて本気モードでいきます。

長崎は坂の多い街だ。
長崎は島の多い街だ。
長崎は雨の多い街だ。

天草からフェリーで島原へ渡り
雲仙をまわって長崎市内に入ると
急な斜面に町がただずんでいた。
観光名所へ行くのも大変だったが
そこから見下ろす景色は中々のものだ。

その長崎で一つ気になる島がある。
端島、通称軍艦島だ。
大正時代から造られたマンションなどが
今や無人島となって廃墟と化している。
人がいなくなると、こうも荒れ果てるのかという
見本のような街並みがそのまま残ってるらしい。
ぜひ一度見てみたいと思う。

その長崎はあの日まで日本で最後の被曝地だった。
そう1年と6か月前のあの日までは。


いくつかの原子力事故はあったのだが
人が住めなくなるような事態は
長崎の原爆を最後に起きてはいなかった。

ちょこちょこ書いているのだが
横浜市民は横浜にプライドを持っていて
俺なんか横浜は国際的には
東京の次に有名な都市だと思っているが
きっとナガサキの方が知名度は高いのだろう。

東京は日本の首都であり
ニューヨーク、ロンドンと並び
世界経済の中心地であり
オリンピック開催地でもあるので
国際的に認知度は高いはずだ。

札幌、長野はオリンピック開催地なので
やはり有名なような気がする。

広島、長崎はヒロシマ、ナガサキとして
そしてフクシマである。

以前ベルギーでサッカーの川島が
フクシマ・カワシマと揶揄され激怒したが
残念なかたちで長崎も知れ渡っているのだろう。

ファットマンの投下後長崎の人達は
政府の対応など無い中で
放射能汚染が残る中住み続けたのだろうか。

いったいいつごろまで
放射能の影響は残っていたのだろうか。
今はいったいどのくらい残っているのだろうか。

放射能は怖いという認識だけで
何がどのように危険なのか
人体にどういう影響があるのか
しっかり勉強しなければと思う。

不謹慎な発言でクビになった大臣のように
バカげた偏見を持った人間に
ならないように気をつけなければ。

福岡県に大川市と言うところがある。
古賀政男とタンスが有名なとこだが、
仕事で行った帰りに福岡空港より
佐賀空港のほうが近いので
佐賀空港から羽田に帰ってきた。
だからほんの1時間ぐらいしか
佐賀には居たことがない。

佐賀は明治維新の時に
重要な立場にあった割には
現在ではあまりパッとしない。

SAGAと書くとなんかカッコいいが
近年でははなわの歌で
話題になったぐらいかな。
ほんと佐賀の印象は薄い。

はなわ君は少々バカっぽく見えるが
以前お茶した時にはすごく礼儀正しくて
なかなか好青年な印象を受けた。
今でも特別支援学級を訪問したりして
意外に真面目な活動してるらしい。

佐賀と言えば唐津、伊万里、有田と
陶磁器の町として有名だ。

有田焼のコーヒー茶碗なんか
平気で1客2万円とかするし
古伊万里の皿なんか
目ん玉飛び出るくらい高い。

うちのお店は高級なコーヒーカップは少なく
ほとんどはナルミを使ってる。

とんねるずの木梨憲武と安田成美が
結婚する時にノリタケとナルミが
一緒になるって笑った。
わかるかなぁ。

少し余裕ができたら
ウェッジウッド、マイセン、
ロイヤルコペンハーゲンなどの
カップを揃えたいなぁ。

はじめて沖縄に行ったのはもう10年以上前の秋でした。

仕事仲間と二人で1泊2日で行ったけど、
10月下旬というのにまだ泳げるというので
もう1泊することにし現地で海パン買って、
ホテルのプールで1日のんびりしたのを覚えています。

いつも仕事で出張するとなかなか観光できないので
その時は最後の日に首里城にちょこっと寄ってみました。
今ではあまり見かけない2千円札に
デザインされている、守礼門があるところです。
沖縄観光はこの時だけです。

沖縄、二番目に最高っ、
最高の次に、いいとこ。

何度行っても楽しい。
何度行ったか覚えてないが
20回ぐらい行ってる。

暖かいし、
海が綺麗だし、
景色も綺麗だし、
女の子も綺麗だし、
松山や国際通り楽しいし、
真栄原はちょっと書けないし。

横浜以外で唯一
住んでみたい場所だ。

以前は那覇から福島行きの飛行機があり
頻繁に利用していた。

那覇を出る時は25℃ぐらいでも
フライト時間が長いので
福島につく頃には気温が
0℃ぐらいまで下がっていて
持っていく服が大変だった。

福島に着くとほぼ同時刻に
新千歳からの到着便があり
那覇から来た乗客と
新千歳から来た乗客が
到着ロビーで一緒になった。

服装の違いを見て
日本は広いなあと思ったものだ。

那覇空港は当然のことながら
離陸するといきなり海上に出る。

高度を上げ3万ftで水平飛行に入ると
夕方出発の便ならば
前方は薄暮で群青色の空が広がり
真横は薄明で赤褐色の空が広がり
後方は日没で琥珀色の空が広がる。

自然が織りなす黄昏時のグラデーションを
眼下に雲海を見ながら眺めるのは
最高のひと時だった。

同じ活火山でも阿蘇とは趣が異なるのが桜島。
阿蘇が女性的な火山なら桜島はまさに男性的。
手弱女と益荒男って感じかな。

薩摩半島には開聞岳というミニ富士山がある。
薩摩富士と呼ばれるが全国にある○○富士の中でも
一番きれいな形をしている。
開聞岳の近くにある指宿温泉の吟松という旅館は
夕食を離れでいただくのだが何とも風流でよかった。
一度泊まってみる価値があると思う。

川内に汾陽さんという人がいる。
川内はせんだいと読み、
汾陽はかわみなみと読む。

せんだいと入力するとIMEは
専大、仙台、千台、先代、川内と
候補リストが表示される。
かわみなみは人名地名ででてくる。

九州新幹線の川内駅は
東北新幹線の仙台駅とともに
新幹線では唯一同音の駅名だ。

今日は難読人名を書いてみよう。

携帯の電話帳を見てみると
穐山、あきやま、埼玉。
伊能、いよく、東京。
大豆生田、おおまめうだ、栃木。
筬島、おさじま、東京。
大日方、おびなた、長野。
汾陽、かわみなみ、鹿児島。
興梠、こおろき、宮崎。
地濃、ちのう、新潟。
仁歩、にんぶ、群馬。
饒波、のは、東京。
一、はじめ、東京。
篙、ふなざし、熊本。
豆生田、まめうだ、東京。
御厨、みくりや、東京。
輪座、わざ、東京。
ざっとこのくらい読めそうにない名字があった。

一説によると中国や韓国に比べると
日本人の名字は圧倒的に多いそうだ。
もっとも世界中の名字が集まる
アメリカには到底及ばないようだが。
宮崎は神話の故郷であり
さまざまな神話が神楽という形で
伝承されている。
高千穂神社では一部が観光用に
毎晩上演されている。
高千穂からは阿蘇へ抜けられるので
高千穂に一泊して見てみるといいと思う。

前の県知事は知ってるが
今の県知事は知らない。

前知事の事で
知ってる事は
以前の仕事は
芸能人な事だ。

六本木のちょっとHな店で隣同士になり
うるさくてぶっ飛ばしてやろうかと思ったら
前知事だったので
しょうがねぇなと思った事がある。

さて宮崎の話しだが
延岡から神話の古里
高千穂へ入り神仙という宿に泊った。

大学4年で食べざかりの俺は
夕食の時おひつに半分のご飯では足りず
厨房までもらいに行った。

あの当時は一人で夕食は
5合ぐらい食べていた気がする。
高校生の頃は一日一升は食っていた。

すると次の日の朝
おそらく一升はあるかと思われるぐらい
ものすごい量のご飯がやってきた。

朝は食べないんだよねぇ。
昔っから朝食食べるくらいなら
その分寝てる方なので
ほとんど食べたことがない。

昨日の夜あれだけ食べたもんだから
これはとんでもない客が来たと
思われたんだろうね。
でも朝食食べない。

申し訳ない気がして
とりあえず茶碗1杯ぐらい食べたけど
ほとんど手つかず。

宮崎の一番の思い出は
あの大量のご飯だな。

大観峰から見た阿蘇カルデラは
九州で最も雄大な景色が見られる。
また、カルデラから見た外輪山は
今にものしかかってきそうで迫力がある。
きっと熊本城の武者返しも
これを見習って作られたのだろう。

以前熊本弁丸出しの、
ばってん荒川という芸人がいた。
お婆ちゃんの格好をして
熊本弁でしゃべる、所謂ローカルタレントの
さきがけのような人だった。
西のばってん荒川、
東の伊奈かっぺい、
ってとこかな。
ナマドルじぁねえよ。

社会人になると長期休暇が取れるのは
新婚旅行の時だけだと思い
大学最後の春休みに
北海道に行くか九州に行くか
迷った挙句に九州に行くことにした。

この瞬間に新婚旅行は
北海道に決まったわけだが
九州に行くのにはもう一つ理由があった。

熊本には初恋の子がいた。
彼女とは幼馴染で
よくお互いの家に遊びに行っていた。

彼女の両親にも気に入られていたし
うちのおばば様も彼女の事を気に入っていた。

高校生になると突然彼女は変わってしまった。
精神的に幼かった俺は変わってしまった
彼女を受け入れることができず
だんだん距離を置くようになった。

彼女のお母さんに泣きながら相談されたが
親が言っても変わらない娘を
俺がどうすることもできなかった。

ほどなくして家族と共に熊本に引っ越し
それ以降は時折手紙のやり取りぐらいになった。

数年たち少しだけ大人になった俺は
彼女のことが気になり
もう一度会ってみようと
両親に連絡を取り熊本に行くことにした。

九州に行った最大の理由はそれである。
2日間彼女の家に泊りいろいろ話をしたが
結論はジ・エンドであった。

学生生活と共に
俺の幼い想いは
思い出になった。

気持ちを切り替えてその後
鹿児島、宮崎、再び熊本長崎、佐賀、福岡を
10日余りかけて回り九州の旅は終わり
ほどなくサラリーマン生活が始まった。

配属先で隣の席になった女性と
数年後に結婚し北海道に行きました。
別れちゃったけどね。