4月になったら今年もまたアルバイトを募集するので
そろそろ時給を上げようかな、
なんて考えているのであるが
そのことを1年生の子に聞いてみたら
今のままでいいですと言われ却下されてしまった。
最近では大学生ばかりになってしまったが
以前は高校生や社会人にもアルバイトしてもらっていた。
高校生でも大学生でもやってもらうことは一緒なので時給も一緒。
しかし先日、3、4年生の子たちがバイト代のことで意見交換していたらしい。
どうやら自分と他の人でバイト代が違うことに驚いてたようだ。
うちでは3年生になると自分のバイト代は自分で決めるので人によって差が出てくることがある。
労働の対価として給与が発生するとすれば、売上や労働時間そして作業量などを勘案して
己の価値を端的に表す指標として自分でバイト代を決めてもらっているのである。
しかし給与格差が長期間継続することは望ましくないので
4月になったら新たな指標を提示しなければならないと思っている。
さて世間では高校生と大学生で50円程度時給が違うのだが
では高校と大学ではいったい何が違うのだろうか。
一言で言うと高校は勉強を教わるところで大学は勉強するところ。
この勉強をするということを勉強したことが無い人にはなかなか理解できないようだ。
そもそも高校までは文部科学省が定めた学習指導要領にそって授業が行われ
教科書も検定を通ったものが使われ学習指導要領に合致しないことは
教えてはいけないことになっている。
端的に言えば先生はお上の意向に沿ったことしか教えられないのである。
だから生徒は決められたことを教わるのである。
大学はと言えば別に学習指導要領があるわけでもなく
教科書も先生が自分で書いたものを使ったりしている。
元々大学の先生というのは教師ではなく学者である。
自分の研究をするために大学から研究費が支給されている。
教員という立場上講義をしているのであるが部外者から見れば
研究費をもらっているから義務を果たしているのではないかと思う。
しかしながら立派な教育者として青少年の育成をしている方も見受けられる。
本来大学は最高の研究機関であるはずなので
教員と学生が一体となって研究していく場なのであるが
ほとんどの学生はそれがわかっていない。
大学はその研究成果に応じて学位を授与するのだが
ほとんどの学生はそれがわかっていない。
志を持って大学に入学したものは何を研究するかが定まっている。
なので自分にとって必要となる知識や教養、
先行研究している教授などがわかっているので
どの先生の講義を受ければよいかなどが自分で判断できるのである。
しかし何の目的も持たずにただ漠然と大学に来た学生にとっては
その必要性も何もないのである。
だから授業を選ぶ時にも何の根拠もなく
単位が簡単に取れそうとかそういう基準で選択している。
論文を書くために何を学ばなければならないのかではなく
ただ単位を取るために選択しているのである。
だから学校側としても大学生として最低限必要と思われるものを
必修という形で強制的に取得させるしかないのだろう。
こうやって学校側からカリキュラムが提示された瞬間に学生は
自分で物事を決めるという社会において重要な能力を養う機会を失うのである。
よく大学は自由だと言われている。
自由というのは自分で物事を決められるということで楽ということではない。
自由ということと楽だと言うことを履き違えたまま
500万円で大卒という学歴を買い
4年間、1461日という貴重な時間を活かしきれなった学生が
間もなく社会に出てくるのである。