こんにちは。

 

11月も残りあと3分の1程度となってしまい、本当に月日が経つのは早く感じます。

 

1か月後にはクリスマスや年末、そしてお正月が待っています。

 

気持ち良く新年を迎える為にも日々全力で努力を惜しまず何事にも取り組みたいと思います。

 

 

さて、最近は某劇団において若い俳優さんが亡くなられたことが非常に大問題となっております。

 

また劇団の代表を務める人物が調査結果の発表を行ったところ非常に多くの非難の声が上がりました。

 

伝統的な劇団であればその劇団内におけるルールや社会が形成されていて、それに従わざるを得ないというのは分かりますが、絶対に忘れてほしくないのは従うのは生身の人間であるということ。そしていくら伝統的な劇団であっても伝統的な教育があったとしても外の社会は日々進んでいるということ。

 

特に教育の責任を預かる人においては肝に銘じていただきたいものです。

 

 

今回の報道では教育と称した若年者への「いじめ」や「長時間労働」が問題として取り上げられておりましたが、こういった問題は当該劇団だけの問題ではありません。

 

外の社会、例えば学校や職場にだってこういう歪んだ伝統が残っているところも実際にあります。

 

例えば私が受けた事案で言えば、

 

・通っていた学習塾で講師が私のテストの答案を手にもって他の塾生に見えるようにぶら下げた。

 

・柔道部時代、上級生に「先輩の命令に従うのは当然」として金銭恐喝を受けた。そして顧問の教師はこの事案を隠蔽した。

 

・かつての配属先で新入社員だったころ、サービス残業をさせられたり商品を強制的に購入させられそうになったり、始業30分前に売り場に出たにも関わらず殴られたり等と、金銭恐喝や暴力といった犯罪や労働法違反が当たり前の環境にいた。

 

ということがありました。

 

 

私に対して危害を加えた人間や、マスコミ等に理由を詰問された人間は必ずこう言います。

 

・本人のやる気を引き出すためだった。

 

・会社の伝統的や教育や創業者の方針。

 

・「もう過去のこと・終わったこと」と言って開き直る。

 

・「知らぬ・存ぜぬ、やった人間の問題」と言って責任逃れ・・・

 

 

これって人としてもおかしくありませんか?

 

被害を受けた人間の気持ちを考えたことはありますか?

 

 

確かに伝統的な教育を受けて大きく実力を伸ばす人もいることは事実です。

 

しかしその教育がすべての人に適合するとは限らないのです。

 

 

私の場合は私自身の性格が「やられたらやり返す」というのが元々の性格でしたので、例えば柔道部の件では騒ぎを校長先生の耳に入るまで大きくして柔道部は活動停止処分、顧問は監督不行き届きの責任を問われました。職場の件では当該事案を店舗の会社内だけではなくテナントやお客様までが異変に気付くほどまで騒ぎを大きくさせ、結果、私に危害を加えた人間は次々と異動。管理職は降格されられて異動・・・。

 

私のようにどれだけ被害を受けても立ち直ることができる人ばかりとは限りません。

中には潰れてしまったり、命さえも絶ってしまう方もいるのです。

 

 

私も職場では人に教育をする立場にいる人間です。

 

言葉には非常に神経をすり減らすほど選んで慎重に選んでいます。

 

また、私はルール違反や法令違反、お金や人権、命に係わる事案に対しては非常に厳しく対処しておりますが、それでも行動や言葉には細心の注意を払っていますし、指導後の当該本人に何か異常等がみられないかどうかも必ず優先して確認しています。

 

人を指導するということはそれだけ大きな責任を預かっているのです。

 

人に対しての言動は相手の人生を左右するぐらい非常に気を付けなければいけないのです。

 

私は日々、自分自身に対しても肝に銘じております。

 

 

昔なら「根性」で済まされることでも、現代では労働者を守る法律が次々と整備されてもはや根性論や精神論といった類の言い訳は一切通用しない時代です。

 

組織の代表を務める人や教育に携わる立場の方々には「弱い立場の人間の気持ち」をより知っていただきたいものです。

 

 

そう思いながら報道を見ておりました。

 

皆様はどう思われますか?

 

もし皆さまが被害に遭われたら「根性」で済ませられますか?

 

 

最期までお読みいただき誠にありがとうございました。

 

当該劇団の責任を預かる方々には最後まで世間が納得のいく誠実な対応をさせることを望みます。