病者の祈りは、皆様ご存知と思いますが、

 

ニューヨークで書かれた患者さんの詩です。

 

普段は、そこまで気にも留めていなかったのですが、

 

病状説明のあたりから、気になって、よく考えています。

 

 

 

 

病者の祈り



大事を成そうとして
力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった

より偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことができるようにと
病弱を与えられた

幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった

人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを喜べるようにと
生命を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは
すべてかなえられた
私はあらゆる人々の中で
最も豊かに祝福されたのだ

 

 

 

私も、今回、手術の話が出た時には、子ども達の教育費を稼がねばと、

 

仕事を増やそうとしていた時期でした。

 

 

 

プライベートでは、家族との長きに渡る葛藤も、少しずつですが、

 

溶けてきていたタイミングでした。

 

 

ようやく、自分のやりたい事にも向かって、

 

ガンガン進んでいこうと準備をしていた所でした。

 

 

私は、病者の祈りのように、より幸せや富を求めて、病気や弱さ、

 

貧困等の運命を与えられたのかもしれない。

 

 

 

私が求めたものは本当の幸せではなかったのかもしれない。

 

このつんだ人生の中に、本当の幸せを見出せたら、

 

救われるのかもしれないと思いました。

 

 

 

病者の祈りを読んで、強い不安と焦燥感は一旦落ち着きました。

 

 

 

でも、しばらくすると、また足掻きたくなるのです。

 

病気以外何も無くなってしまったら、借金ばかりになりますけど?

 

まだカウンセラーとしても、本気も全力も出せてない。

 

このまま、病気だけは、やっぱりいやだーーー!!! 

 

 

 

 

生命のやりとりが関係すると、宗教の考えに救われる部分は大きいです。

 

でも、人生つんだカウンセラーはそれだけではなく、

 

心の救済を自分なりに見つけたいのです。

 

 

 

そうこうしているうちに、お正月にもなり、手術に向けて、

 

できるだけ頑張りすぎないよう、のんびり過ごしていました。

 

 

なんとなく、お墓参りに行きたくなり、

 

御先祖様達とお話をする時間をゆっくりもてました。

 

行く前は、どうかお守りくださいとか、

 

あれこれお願いばかりしようかなと思っていました。

 

 

お話ししていると、どれだけ自分はご先祖様達が

 

作った道を生かしてもらってきたか。

 

 

今もどんなに守られているのか、

 

ありがとうございますの気持ちで涙があふれました。

 

 

 

カウンセラーが宗教の話をだすと途端に怪しげになるので、

 

あまり書くつもりはなかったのですが…

 

他の人から見たら、なんでもないことでしょう。

 

しかし、自分の個人的体験としては、

 

大きな感動と活力がもらえた気がして、記しました。

 

まだまだ、自分の心の救済、真実を探索します。