「現実世界」に、循環を。


どれだけ、この世界の
裏側や設定を頭に浮かべていても
今の私にできことは、
命ある者ができることは、



この世界で感じたことを、
この世界で表現し、動くこと。




この、平で一つの世界。
みんなが共有する大きな物語の大きな舞台に。



豊かさの循環を。



そのためにできることは、
注ぎ込みとかき回し。




「注ぎ込み」は、高台に立って
自分から湧き出る豊かさを
大きな流れに注ぎ込む、ということ。


「かき回し」は、
「大きな循環」そのものに信頼を寄せ、
また、それが自分のものではなく
舞台を共有する全ての存在にとって 
重要なものであると、認識し信じること。


そして、その循環の流れに
自らが身を投じること。




「注ぎ込み」
難しく思えるけど、難しくない。


注ぐための高台は
「自分」が存在する時点で  
既に存在しているものだから。


ひたすらに、
「自分」を流す。
湧き上がるものを、流す。


その流れ出した豊かさは、
どんな形になるかは分からない。


けれど、「豊かさ」であることに変わりはなく
循環という大きな流れが
届けるべき人に届けてくれる。


だから、まずは信じよう。
自分の中で「循環」というものを
信じることができなければ
何も始まらない。


「自分だけ」を考えていては
「循環」は止まってしまう。


「循環」を考えることが
「自分」に帰ってくる。





高台を悪用してきた人もいるかもしれない。
自らが上に登ることで
「平らな世界」を見下そうとして。


自分の近くに流れる豊かさを
自分だけのものと錯覚し 
ため池をつくったり
全体と繋がらない循環を密かに生み出したり。


だけどさ。


やっぱり、この世界で生きてる以上
舞台は、この、
平らな世界なんだよ。


みんなが生きてるこの世界こそ 
自分の命が輝く場所で
自分が見たかった絶景を眺めるスポットじゃない?


絶景を壮大に。
壮大だからこそ絶景。
ちまちま見てたって勿体ない。



大きな循環を。



そして、大きな循環に加勢するために。
この、平らな舞台に、
自分という台本をしっかり握って
現場に入ろう。


生きながら
この舞台をよりよく。


注ぎ込みとかき回しを。


これは全員にできること!





書いてて思ったよ。
私が今日「高台」と表現した
全体に豊かさを注ぐための台は

この日私が「富士山」と表現した
純度高い「自分」のことだったのだと思う。


私を積み重ねて、高台を。
そこから自分を注ぎ込み
この世界を豊かにしよう。
   






教訓めいているけれど、これら全部
あつ森の島クリエイター機能から
得た気づきと発想。


やっぱりどうぶつの森は
私にとって気づきの宝です。


「人生どう森」なだけある😌
どう森は人生の縮図だ。


と、考えると。


やっぱり「人生」は、
「人生」でできた物語なんだよなあ。
人生の最小単位も、やっぱり人生だ。







ひめか.