昨日は「祝賀御列の儀」をテレビで見ました
天気も良く無事終わって良かったですね
厳しいセキュリティチェックの中、沿道には
12万人弱の人たちがお祝いをしていました。
人の頭ばかりで、パレードを見ることが
出来なかった人たちも
「来れて良かった~」と言っていたり
「もう全然見えなかった 😡」
と言っていた人はインタビューの中では
いなかったような 確かにインタビューされてそんな事言わないか
でもなかなか見えにくかった多くの人たちの思い
この雰囲気味わえただけでも幸せ~
と思っていたに違いないと、これまた私の勝手な思い
そして私はパレードを見ながら
まったく関係ない事を考えていました。
10月1日中国の「国慶節」のパレード。
ホント全然関係ないけれど、思い出しちゃったよ~
さて話は戻り
一連の行事が続く中、つくづく思うのは
日本人には「天皇」とか「皇室」に対する
何か特別なDNAが刷り込まれているような
気がしてなりません
被災地などに出向かれて、お声がけされた人たちは
だいたいみんな泣いちゃう
たぶん私も泣くと思う
すご~~く特別な存在
だって、最近よくどこかの国の
誰かが、「天皇陛下に謝罪してほしい」とか
言うでしょう
これ言われると、日本人ダメなんだよね
細胞が拒否るんです
怒りのスイッチ入るんですよ
アンタッチャブルです
さて天皇って、もうこんな時代から
続いているお家です。
世界に類を見ない
そして国造りの頃からの、神話の世界の話。
万世一系(らしい)とされた、古いお家なので
大変だろうなぁ~ と簡単な表現しかできませんが
つないでいく責任、半端ないプレッシャー
昔は、御代をつなげていくために
色々な方法があったのでしょうが
今はさすがにそうもいかないし...
普通の人ならたぶんメンタルやられているね
子供のころから将来「天皇」になるべく
教育されてきた、今の陛下は
わきまえた行動、言動が身について
いらっしゃるのでしょうけれど
途中からあの家に入って来る人は
想像を絶するくらい大変だと思います
特に雅子皇后は、当時はバリキャリで
このまま仕事を続けていれば
将来「大使」にも充分なれた人で
先日亡くなった緒方貞子さんのように
世界の難民救済をする為に国連で仕事を
していた人かもしれません。
だってかっこよかったもん
当時のキャリアウーマンは、雅子皇后の
決断をざわついた思いで見ていたかも
そこ選ぶか~ って感じ。
色々な事、苦しみ、悲しみあったことは
日本国民みんな知っているんだよね
私も令和元年、あともう少しだけれど
色々頑張ろう~ (あんまり関係ないけど)
と思った一日でした
何か今日はまとまらない
そうそう、まだ両陛下が皇太子ご夫妻だった頃
愛子さまが生まれていない頃
ある日友人とコンビニへお昼ご飯を買って
歩いていた時に、な~んか道が妙に綺麗で
ゴミ箱や看板が道に置いてなくて、警察官が
ちょこちょこ立っていた場面に遭遇したことが
ありました。
私たちはピーンときて、「あ 誰か通るね~」
と思いながら、「ちょっとここで立っていよう」と
2人でコンビニの袋を下げて待っていました
すると、お~~お~~
当時の皇太子ご夫妻を乗せた車が
白バイに先導されてやってきたのでした
まさかと思いながら
私たちは能天気に、そして興奮気味に
「あ~ 雅子さま~」と言いながら
手を振りながら、ちょっとびっくりしたのでした
普通だったら気づかないか、ちょっと会釈する
くらいだと思っていましたが、その時
雅子さまは車の窓を開けて私たちに
手をふって下さいました
(いやいやホントこんな格好ですんません
わざわざ窓を開けてくださるなんて
こんなコンビニの袋を下げた私たちに)
歩道にいたのは私たちだけ
びっくりしましたわ
実物の方が凄くお綺麗でした
多分、どこへ行かれてもあのご夫妻は
そんな感じなんだなぁ~と思ったのでした。