いろんなご意見があると思うが、表現の自由と公共事業は別の基準があると思う。簡単に独断と偏見で整理してみた。
表現の不自由とは、自由に表現できないことで、表現した瞬間に罪になるとか連行されるとかである。現在の日本ではそういうことはない。嫌がらせ等はあるが、嫌がらせとか脅迫は犯罪として扱われる。しかも国家権力が弾圧をすることはない。日本では、表現の自由は保障されていると思う。
次に、最近問題となっている、公共事業や公的な資金援助を受けた事業の場合の判断基準である。公共事業と支援ではちょっと違う気もするので、公共事業から。
公共事業は、事業主体が公的機関である。公共事業は、納税者に均等に機会を与える必要がある。それは、展示する側というより、見る側にである。圧倒的に見る側が多いので、見る側への配慮である。表現は多様であるが、多くの人にとって、見たい表現と見たくない表現、どっちでもいいよがある。そこには当然のことながら傾向や比率があり、多くの人が見たい表現、多くの人が見たくない表現、少しの人が見たい表現、少しの人が見たくない表現、どうとも言えない表現の傾向が出て来る。じゃ、少ない予算でどっから見せますかってことである。当然多くの人が見たい表現を優先することになり、多くの人が見たくない表現は後回しになるのである。しかし、ここに芸術である以上、芸術性が加味されることになる。高い芸術性は、見たい見たくないにかかわらず見せたくなるのが学芸員キュレーターである。多くの人が見たい芸術性が高いものが優先されるのである。これを最終的に選択するのは事業主体である。
支援を受けた事業の場合、支援するにあたって審査があるが、審査基準を通ったものは支援されるべきである。今回、あいち・トリエンナーレは審査を通っているので、何があろうが支援されるべきである。過去に遡って否認されるいわれはない。もし、これが基準に勝手な展示をしないことなんて書いてあれば、事前に展示内容を提示しなかったということで、支援されなかったはずである。後から変更した基準を適用するのは混乱を生じるので禁止的である。支援というものは趣旨に賛同して決定するのが普通だと思うので、趣旨に合致しているかどうかは判断される事項である。趣旨と明らかに合致していない展示をすることは、詐欺のようなものなので取消は在りうるだろう。今回の撤回は、混乱があることが想定されることを事前に説明しなかったということだから、これには当てはまらない。なので払うべきである。今後はどうであれ、今回は払うべき。
さて、完全な民間展示なら何をやっても自由である。それを潰しに行ったらこれは弾圧である。それにしても、最近はて混乱するから展示しないみたいな理由が多い。もっと芸術性を語ろうじゃないか。それか、当館にその作品はそぐわないぐらいでいいんじゃない。どうせ、主観で決めるんだから。