検証委員会は中間報告みたいなのを出したが、どっちにも転べるものだった。玉虫色というより、世間の反応を見たような感じである。
津田氏のコメント「キュレーションを問題にすると本質を見失う」とは個人の主張が強く出ている。検証委員会への批判であり、自分の思うところに向かわないことが不満なのだろう。
韓国では「帝国の慰安婦」の著者の教授は慰安婦の心情を傷つけたと損害賠償を要求されている。徴用工は不法ではないと発表した研究者は批判にさらされている。これらは言論の部類ではあるが、表現の不自由には当たらないのか?芸術かどうかもよくわからない物体でないと展示の対象にはならないのか?明らかに表現の不自由展~その後には政治的に偏りがあったと思う。芸術によるヘイトと言ってもいい。
現時点では問題提起と言う意味でも成功したとは言い難い。いくら安倍首相を燃やしても批判はされないだろうが、天皇の肖像の顔がないことはいい心地はしない。炎の中にあるのはそれほどの感傷はない。あの作品の意図としては、天皇を燃やすというよりは自分の中にある天皇崇拝をなかったことにしたい消したいと言うことなのかもしれないが、見た人がそうと受け取らないような展示の仕方はやはり配慮に欠けていると思う。インパクトがあればあるほど何のためにその表現が必要かを強く訴える必要があるのに、明らかに不足している。この展示が炎上商法と言われても仕方がないと思う。もしくは芸術と言う名の暴力である。
自分の好きなタレントの写真を意味もなく燃やされたら怒るだろう。それが映画の中の1シーンで、タレントをずっと好きだったのに裏切られてそのタレントの写真を焼いているとしたら、それは意味がある行動で理解もできる。でもね、ドキュメンタリーでない限り、映画に本物の天皇(写真でも)を出すというのはよくないんじゃないかなぁ。営利活動には関与できないんだからさぁ。逆に顔がない作品はそういう問題かもしれないけどさ。これを社会風刺というのには無理があると思うんだよね。社会風刺って多くの人が共感できるものだと思うだよね。英国で公共の展示会で王室をないがしろにするような展示がされたら、英国民はどう反応するんだろう?政府の批判とか風刺とかはそんなに大きな問題にはならない。
結局、「表現の不自由展~その後」は表現が不自由だと言うことを表現する作品の選定を誤った、もしくは、展示方法を誤った、ということだと私は思うのだ。それを推進した津田氏と企画委員が悪い。

それにしてもこのネタ、盛り上がりがないな。こういう状況だと、関係者から日本人は芸術に理解がないという声が上がりそうだ。大きなお世話だけどね。