次は、「韓国は必要だ」特集をやろう。そういう特集があって初めてバランスが取れると言うものである。つまらん非難なんて気にするな。数字さえ取れればいいんだ。だって読者なんてたかが知れているし、読者受けするのがいいに決まっている。「韓国は必要だ」特集をやったら、特に批判も起こらないけど、部数も伸びなかったりして。韓国要らないという主張を封鎖しても、そういう意見は残ってしまう。だったら反論を載せようじゃないか。どういう反論があるのか、反論を見て読者がどう判断するのか興味がある。
気にいらない意見や極端な意見を封鎖することは、必ずしも有効ではないと考える次第である。そういう意味で、内容に反論せず特集を攻撃し謝罪に至ってしまった一連の行動を起こした、自分勝手で自分の正義に酔っている作家などの文筆家は程度が低いなぁ。小学館の謝罪なんて全く意味がない。「韓国は要らない」と思っている人に考えさせる機会を失くしてしまった。きっと、「韓国を要らない」と思っている人たちは、悪いことと思うより敵対心を持っただろう。
ヘイトって簡単に言うことにとても違和感を覚えている。ヘイトと相手の行動を非難することで、自分が良識のある人間だと言いたいだけのように思う。直接会えば違うかもしれないし、相手の意見を受け入れて議論すると言う意味では、極端な意見であっても同じなのではないだろうか?みんなが最初から優等生の答えを言わなければいけない世の中が本当にいい世の中なんだろうか?その優等生の答えが正しいと誰が保証するのか?日本人の悪い癖だ、極端に走り皆に同じことを求める。世界でヘイトが問題になっているのは確かだが、多民族国家のそれと日本のそれってかなり違うんじゃないかな。なんか社会が鷹揚でなくなってきている気がする。作家も評論家もサラリーマンも引きこもりも思考レベルなんて変わりはしない。有識者と言われる人間の上から目線はとても違和感のあることだ。特に作家なんて非常識の塊みたいな人間もいるし、その人の発言が正しいとは思えないことも多々ある。ネットの得体のしれないインフルエンサーのようなもので、正しかろうが間違ってようが、ついてくる人間が存在するので勘違いしているんだろう。
ちなみに私は、「韓国は要らない」派であるので、もしかすると偏っているので注意した方がいい。とにかく韓国に依存しない日本になってほしいと願っている。中国にも対抗できるといいのだが、ちょっと国力が違いすぎるので、米国と強調するしかないかな。本当はTICAD(アフリカ開発会議)も日本だけでは中国に対抗できないから、韓国とも協力できればいいと思うが、できない。韓国は中国には逆らえない。中国との協調が考えられない日本としては、もはや韓国と組むことはないということなので、韓国は要らない。