9月1日は自殺者が増える時期だそうだ。夏休みが明けて2学期が始まる日は学校に行きたくない子どもにプレッシャーとなるそうだ。そうは言っても大多数は行くんだけどね。学業で悩んで死ぬってなんだろう?そりゃ思った通りに点数は伸びないかもしれないけど、それが許せないのか許されないのか?いじめが原因なんだろうか?いじめとは言えない場合もあるらしい。
何だろう、世の中の許容度がどんどんなくなっている気がする。家でも成績が悪いと言われ落ち込むことはわかるが、日々の生活はそれだけではないはずだ。それが、それだけになってしまっているんだろうか?親なんてものは自分にできなかったことを期待したりする。また、自分にできることは子どもにもできると信じていたりする。でも親に言われたからと言って、それで死ぬのは短絡的だな。それがすべてに思っている人もいるのか?ただ楽になりたいだけか?なぜ、今、自殺が目立つのか?他の死因が減ったからかもね。理由にもよるが、死にたい奴は死ねばと思うが。
行き過ぎた暴力による乳幼児の死亡が目立つのは、親が遊びたい楽したいというのが増えたからだろうか?
昔の親は子どものことなんか構っている余裕はなかった。特にうちは貧乏サラリーマンだったから、構ってもらった記憶が少ない。世の中そんなものだと思っていたが。昔の親は子どもにはみじめなことをさせたくないと言う気持ちがあったので自分は苦労しても子どもは普通にという思いが強かった気がする。今の親は自分が楽しむために子どもを犠牲にできる。死ぬほど殴ったりできるのはそういうことだろ。昔はみんな結婚し子どもを育てることを目標としていた。そりゃできない人は苦しんだ。今は、なんだろうね、望まぬ妊娠がよく新聞に載る。快楽のためだけにやりまくってたらそりゃできることもあるだろう。人によりけりだろうが、割合として増えた気はするよ。そして、性教育ができていないと学校のせいにしたり。まぁ、第一に本人の責任で第二に親の責任だと思うが。暴行や強姦は別だ、それは意図しないことなので。だが、合意でやるのは本人の責任だ。昔は家の恥だったが、今はそうでもない。自由恋愛だから。そして堕胎も平気である。ノーベル平和賞はアフリカの問題を浮き彫りにしている。今も虐殺や暴行が横行しているそうだ。

嫌でも奪われる命と、好きで失う命、同じ命だが、事情はそれぞれだな。

ネットでも、一言余計なことを言うと全人格を否定されかねない。私とかは、ネットで他人を批判する野郎はくそ野郎だと思っているからいいのかも知れないが、真に受けて信じる奴が多い。それは楽でよい。何言っても人の意見を取り込んでいると自分の責任も回避できると思えるのだろう。
結局、無責任な野郎が増えたのだろうな。