東日本大震災で児童が津波に巻き込まれた大川小学校の市と県に対する訴訟について、市側が上告することを決めた。県も同調する。判決は、市側の責任を認めて賠償をするようにというものだ。
津波が予見できたかどうか、ハザードマップを独自に検証すべきだったかどうかについて、市側は津波は予見できないし責任は国じゃね?と言っている。
遺族のコメントは責任を感じていないとかいろんな意見が出ている。上告するなんて理解がないとかいう。
当事者でないし、適当な意見であるが、市側は上告するだろうなと思っていた。逆に上告せずに済ませることは良くないとも考えていた。理由は、実際起こったから対策が必要となったのであるが、対処する災害の規模に対してコストが膨らむ。しかも裏山が崩れない保証もないので、どの程度の可能性を追えばよいのかわからない。それを行政の責任と言えるのかどうか、慎重な議論が必要だと思うからだ。最近の日本は米国に似て訴訟ばかりだ。何かと言えば人のせい、誰かのせいにしないと気がすまない。被害者を増やさないようにとか綺麗事もあるのだが、本人の気が済まないだけだ。死んだ奴が報われないとか生きてる奴がそう思いたいだけのことだ。だから、どこまでいっても、責任が曖昧だと言う奴は残る。真実が明らかになってないと言い続ける。修羅場なんだぜ、ここの人間がどうなったかわかろうはずもない。対策したいなら、地震のない土地に行くことだ。
教員が児童を捨てて逃げたのなら問題だが、教員も亡くなっている。何事にも完全に対応することは困難で、今後の改善に役立てることは必要だが、そのために無限の予算があるわけでもない。教員個人の差もある。
なので、最終的には、行政の責任は認め改善を求めるが損害賠償は破棄するのが妥当だと考えている。そんな判決を最高裁に期待するのは無理があるだろうけど、遺族だって賠償金目当てと言われたくないだろうから、賠償金の分を対策費に回すのが良いんじゃないだろうか。