どうも日報があったかなかったかの問題ばかりがクローズアップされている。日本人的な嘘かどうかにこだわる変な議論である。
日報問題の本質は、日報が正しく分析されて正しい判断がされていたかである。日報のあるなしというのは、情報管理上の問題で、本来あるべきなのか廃棄されているべきかの話で、規定がなければどっちでもよい話である。後は、無いと言ったが部分的には残っていて出てきちゃったので嘘をついたのはなぜだという議論になっている。
事の重大さは日本の防衛省に分析できる能力もなければ、正しい判断を下せる人間もいないってことだ。しかも、後からその判断が正しかったか検証するすべも持たない。旧大日本帝国軍を思い起こさせる情報処理能力の欠落だ。文民統制ができていない?それ以前の問題だ。行ったら玉砕するまで帰ってくるなという自衛隊幹部、それを文民のせいにするのはいかがなものか?
どうしてそう言えるかというと、これまでの説明の中で、「あのPKO継続の判断は正しかった、その理由はこう分析してたからだ」ということが、一切出てこないからだ。今の自衛隊の幹部は隊員を死地に向かわせたことがない。部下を死なせるってことがどういうことか本当にわかっているのか?言われたから行きますは、山本五十六司令長官でもそうであったが、日米の国力の分析はなされており開戦には反対していた。今の自衛隊に分析能力があるのかはなはだ疑問だ。はっきり言ってこれは国の存亡にかかわる。状況の分析がされていたのかどうか知らないが、それを正しく伝え判断する仕組みがないのだ。稲田元防衛省に適格な判断なぞできるわけがないから、お膳立ては防衛省幹部がするのが当たり前だが、それが無能力すぎるとしか見えない。日本の国力も兵力も武装もすべて中国には負ける。唯一優位な武装も時間の問題だ。分析力のみ勝てる可能性があるのに、それを向上させずにどう対応するのか?根拠も経験もない根性論が最悪の結果を招くのだ。