良く出てくる談話は以下の2つ

村山首相談話 1995年
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html

河野内閣官房長官談話 1993年 河野
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html


村山談話は、主に侵略と植民地支配についてお詫びと反省を述べたもの。
河野談話は、従軍慰安婦問題について軍の関与と責任を認め、謝罪と反省を述べており、対応について検討をすることが記されている。
これらの談話は、日本国内でも賛否が割れたが、談話として正式に記録されている。
これらは、なぜ談話なのか?公式な見解が閣議決定なり国会決議なりされていないからである。それは事実を認めない人たちが両極に存在するからである。
しかし歴代内閣は河野談話を基本的に踏襲している。

これらの談話が政府が公式に認めたものでないことが問題で、日本の公式見解のようで個人的な発言のようで位置づけが不明瞭なのである。
安倍首相は、河野談話について、強制性の証拠はないという政府答弁を閣議決定している。その後、第2次安倍内閣で再検証がされているが、韓国側の要請により文言が決められたことが報告されている。談話では「総じて本人たちの意志に反して」とあるが、強制連行については確認できていないと報告されている。結果として、関連国家(韓国、中国、なぜか米国)は、河野談話を否定する検証結果について批判的だった。はっきり言って、米国には言われたくない。占領時はかなりひどかったらしいし、今でもあちこちで強姦や暴行ばかりしている軍を持つ国が批判できると思わない。

結果的に河野談話は不正確だと思われるが、それにより日本の責任がなくなるものでもない。河野談話は、日本の主張のみで発表されるべきだったと思う。それであれば、このように国内でもめることはなかっただろう。検証により、河野談話の内容に韓国の強い関与があったことがわかっており、そのため、韓国側に都合のよい内容になったと考える人もいる。全て日本の軍が強制して作り上げたとしたい韓国の要求を中途半端に取り入れたためである。

「国際政治において、一度発表したら、内容に多少の誤りがあろうと取り返しがつかない」という教訓の元に、安倍首相は2015年の日韓合意に臨んだのだろうと思われる。もっとも、今回のように頑なな姿勢を前面に出すことは加害国としては得策ではないかも知れない。

多かれ少なかれ日本がアジア諸国に害をなしたということは確かなのだから、政府はことある毎にお詫びすればよいじゃないか。河野談話を踏襲しているのだから謝ることに関しては障害はなかろう。謝ったからと言って何かを譲る必要があるわけではないのだから。韓国が謝罪を求めたからではなく、日本が日本の現在が正しいことを示すために過去の行いを謝罪するのである。