NHKの視聴料に関する放送法の規定が合憲であるという最高裁判所の判決が出てから、その判決が正しくないかの論調の記事が多く出ている。中には、国民審査で×にすることができないとか、わけのわからない記事を書くボケまで出てくる。確かに国民審査は改善の余地があるのかもしれないが、この判決だけでその裁判官の適否を論じること自体が暴論である。自分の意にそまない判決を一度でもしたらその裁判官のすべてを否定するのは、ヘイトに等しい。
その裁判官が最高裁判事になるまでには、いくつもの事件を裁いてきている。最高裁判所でない場合は、一人で裁くこともある。それらの経歴をメディアはもっと取り上げる必要がある。しかし、メディアは最高裁判所の判事の国民審査の情報はほとんど掲載しない。つまり、国民の関心事でもないというのが実態だ。情報量が少ない中で決めなければならないのは、制度もあるが、その前に有権者の関心がないからである。
そして、今回のNHK判決で自分の意に反する判決を出すと、その裁判官を罷免したいと言い出す。その裁判官がこれまでの実績を見ても偏った問題のある判決をしているならそれもありだが、そうではないのであれば今回の判決も妥当だと見るしかないではないか。
それなのに、今回の件だけを上げ、あたかも裁判官に問題があるかのような意見は、ヘイトと同じとしかいいようがない。他人の意見を認めることなく、いつまでも自分の意見にしがみつく、これが民主主義をおかしくしている元凶ではないのか?国歌国旗法ができても起立も何もしない教師と似たり寄ったりだ。自分の主張のみが正しいと思い込んでいる人間が人を教育したりコラムを書けるから世の中がおかしくなるんじゃないのかね?
適当な思い込みを書き散らす私が人のことを言えた義理ではないのではあるが、あまりにも中立な記事が少ないので言い過ぎたかも知れない。
その裁判官が最高裁判事になるまでには、いくつもの事件を裁いてきている。最高裁判所でない場合は、一人で裁くこともある。それらの経歴をメディアはもっと取り上げる必要がある。しかし、メディアは最高裁判所の判事の国民審査の情報はほとんど掲載しない。つまり、国民の関心事でもないというのが実態だ。情報量が少ない中で決めなければならないのは、制度もあるが、その前に有権者の関心がないからである。
そして、今回のNHK判決で自分の意に反する判決を出すと、その裁判官を罷免したいと言い出す。その裁判官がこれまでの実績を見ても偏った問題のある判決をしているならそれもありだが、そうではないのであれば今回の判決も妥当だと見るしかないではないか。
それなのに、今回の件だけを上げ、あたかも裁判官に問題があるかのような意見は、ヘイトと同じとしかいいようがない。他人の意見を認めることなく、いつまでも自分の意見にしがみつく、これが民主主義をおかしくしている元凶ではないのか?国歌国旗法ができても起立も何もしない教師と似たり寄ったりだ。自分の主張のみが正しいと思い込んでいる人間が人を教育したりコラムを書けるから世の中がおかしくなるんじゃないのかね?
適当な思い込みを書き散らす私が人のことを言えた義理ではないのではあるが、あまりにも中立な記事が少ないので言い過ぎたかも知れない。