なぜ今自国ファーストなのかという質問は不思議だ。グローバリゼーションが叫ばれて久しいが、もともと自国のために戦争したりしていたのが、逆にそれではいけないみんなで豊かになろうなんて幻想をいだかせるためのものがグローバリゼーションだ。グローバリゼーションは、階層の変化に他ならない。それまで、その国が豊かになれば全体的に豊かになったのだが、グローバリゼーションでは違う。グローバリゼーションでは、グローバルに勝者と敗者が別れるのだ。これまで、国家は例えば欧州でもそうだが、先進国と発展途上国とあり、先進国は発展途上国から搾取をしていたのだ。安い賃金で労働力を得、物を安く購入していた。そして高い物を売りつける市場として発展途上国を位置づけていた。それが、徐々に先進国に追い付いてきて、市場として成り立たない状況となった。市場を形成する方法として、市場統合を図ることにしたのだが、そのとき、順位が変わった。これまで、先進国の後に発展途上国がいたのに、先進国の下層の上に発展途上国の一部が入るようになった。先進国と思い、自分たちの暮らしはましだと思い、移民を不幸な人たちと考えて支援していたが、それは実は余裕があるからできたことだった。ところが、よく見ると、いつの間にか発展途上国の下層と自分たちが変わらない程度になってきていた。しかも、仕事は先進国の人間は賃金が高いため、いくら法的に最低賃金や労働条件を決めようとも、企業は賃金を上げることもなく不法な移民に安価に労働させることになっている。
結果として、多くの大衆は移民に職を奪われたように感じ、移民の抑制と雇用の拡大を求めることになる。
要するに、国家が他の国家よりも上位にあった時代はどんな国民も他国に比べれば上位にあったが、グローバリゼーションで国の垣根が縮小した結果、他国に比べれ優位であった自分たちの立場が他国の下層と競争する状態になったので、国に対して庇護を求めているのが今の状況だと思う。グローバリゼーションの結果として、上流層は相変わらず上流層に居続けているが、相対的に大衆の地位は低下してしまったことが、俗に言われるナショナリズムの台頭となっている。
すべては、国家が富裕であった時代に余裕があって移民など世界のことを考えられたことが、今はそんな余裕がなくなったということだ。この状況はそうそう変えることはできないので、どんな政府が樹立しても根絶することはできないだろう。国民一致団結とかが無意味なスローガンであることは公然の事実であるし、絵空事は誰も信じなくなっている。今の状況が改善せず継続しグローバリゼーションが進めば、いずれは暴動につながる。これは、ポピュリズムとかそういう言葉でごまかせる話ではない。あたかもポピュリズムは恥ずべきことと思わせようとしているメディアや政府は自分たちの立場を守りたいだけだ。これはポピュリズムとかではなく、人々の欲求を達成するための行動である。理性的に達成することができなければ、徐々に暴力的になっていくのだ。そしてそれを達成しようと先導する存在についていくのだが、良識ある先導者は飲み込まれて先導できずに淘汰される。良識のないさらに過激なものだけが先導でき、そういう指導者が生まれたときこの流れは爆発する。今はまだその途中にある。解決できればよいが、解決する手段は難しい。国家が完全に形を失い国境がない世界になる(すなわち、差別がない平等な世界)か、発展しないが国家に閉じた世界(すなわち誰も多くを持たないが最低ラインも保障される格差が小さい世界)になれば、可能性はある。
向かいつつある世界のもっとも可能性が高い形は、持てる者に支配された世界である。持てるものにとって都合がよい秩序が作られるのである。
今は過渡期である。どちらに転んでもおかしくない状態なのだ。
結果として、多くの大衆は移民に職を奪われたように感じ、移民の抑制と雇用の拡大を求めることになる。
要するに、国家が他の国家よりも上位にあった時代はどんな国民も他国に比べれば上位にあったが、グローバリゼーションで国の垣根が縮小した結果、他国に比べれ優位であった自分たちの立場が他国の下層と競争する状態になったので、国に対して庇護を求めているのが今の状況だと思う。グローバリゼーションの結果として、上流層は相変わらず上流層に居続けているが、相対的に大衆の地位は低下してしまったことが、俗に言われるナショナリズムの台頭となっている。
すべては、国家が富裕であった時代に余裕があって移民など世界のことを考えられたことが、今はそんな余裕がなくなったということだ。この状況はそうそう変えることはできないので、どんな政府が樹立しても根絶することはできないだろう。国民一致団結とかが無意味なスローガンであることは公然の事実であるし、絵空事は誰も信じなくなっている。今の状況が改善せず継続しグローバリゼーションが進めば、いずれは暴動につながる。これは、ポピュリズムとかそういう言葉でごまかせる話ではない。あたかもポピュリズムは恥ずべきことと思わせようとしているメディアや政府は自分たちの立場を守りたいだけだ。これはポピュリズムとかではなく、人々の欲求を達成するための行動である。理性的に達成することができなければ、徐々に暴力的になっていくのだ。そしてそれを達成しようと先導する存在についていくのだが、良識ある先導者は飲み込まれて先導できずに淘汰される。良識のないさらに過激なものだけが先導でき、そういう指導者が生まれたときこの流れは爆発する。今はまだその途中にある。解決できればよいが、解決する手段は難しい。国家が完全に形を失い国境がない世界になる(すなわち、差別がない平等な世界)か、発展しないが国家に閉じた世界(すなわち誰も多くを持たないが最低ラインも保障される格差が小さい世界)になれば、可能性はある。
向かいつつある世界のもっとも可能性が高い形は、持てる者に支配された世界である。持てるものにとって都合がよい秩序が作られるのである。
今は過渡期である。どちらに転んでもおかしくない状態なのだ。