最近、よく目にするのは、子どもを産まない方向の記事である。
一つは、同性婚。どう考えても現状ではその2人だけでは子孫は残せない。
一つは、子どもを持たない夫婦。不妊治療でつらい思いをしてもできない夫婦ではなく、
自分たちの生活を楽しみたいという夫婦。私の近くにもいるが。
子どものイベントで休む人によく仕事を頼まれるということで、
同じように休める環境が必要だというのだが、自分も勝手に休めばいいだけ。
休む理由がないなら休まなければよいが、休まないことを人のせいにする必要もない。
結局、度胸がないのか自分で選択したことを周りに認めてほしいということらしい。知ったことではない。
これらが公に存在を認められて来たのは、それがそう不自然なことではなくなってきたからということだろう。
なぜか?ここで本能の出番である。元来、動物というものは、子孫を残し繁栄しようとする本能があると思っている。
だが、これらの人たちにはそれがない。あると主張するかもしれないが、ないのである。ないからそうなる。
生物というのは、狭いところに密度を超えて入れると共食いしたり、固体が小さくなったりする。
戦争はそういうことで起こる。歴史は理由を後付けで説明しているに過ぎない。
要は、人が多すぎて困ると戦争が起こって適正人数に減らそうとする本能が働くのだ。
ということで、増えすぎた人口を減らすために、世界では戦争が絶えず続く。貧富の差がある以上続く。
最初の、子どもを持たない人たちも人口を減らす本能によるのだ。同性婚もその本能が元である。
そして、それらを認める雰囲気になってきたのも、人口の増加を抑制する本能に基づくものだ。
戦争が、抑制されて70年が過ぎて、人口が減らなくなっている。ある地域であふれた人口は移民となって移動する。
このままいくと、増えすぎた人口で破滅するか、戦争が発生するか、固体の小型化である。
宇宙に出るのが早ければそれはそれで助かるが、資源がもつかな。
このように、人間以外の動物にはないと思われる、同性婚や避妊しつつセックスをする行動は、
人口抑制の本能によるものである。快楽を得ることだけで満足するように変質しているのだ。
というのが、私の仮説である。

子どもができると、変わる人も多い。それが成長となる場合もある。でも変わらない野郎もいる。虐待する奴もいる。
私が思うのは、なんでも経験することはしないことよりも学ぶものがあるということだ。
子どもを産まないで何が悪いという人は、それはそれでよいが、その経験がないことに変わりはない。
想像は想像でしかない。経験しないとわからないこともあるということはその通りである。
子どもがいる人は休む理由が増えただけのこと。別に休みたいとも限らない。
子どもがいなくて肩身が狭いのがどうのこうのという主張を聞く気にもならない。
すべては種の保存のため。そういう遺伝子は残らなくてよいのだ。