A新聞は、一面と三面で論調が違います。一面は事実関係を述べるのみで、言いたいが我慢しているような文体で、三面は最高裁の判決に不服なニュアンスが出ている。最高裁も、意見を三人がつけるという、職務を逸脱した行為を三人がしている。ある意味、法に照らせばこう解釈するしかないが、こんなものを最高裁に挙げてくるなと言うようにも見える。意見をつけることはできるが、最近の裁判官はそこに別件に関する自分の意見を書きたがる。今回がそういう訳でもないが、国旗国歌を尊重する気風を醸成することが必要とか、司法が考えることではないので、言わなくても良い。
私は、教師の方たちも大変だな~と思いつつも、やはり何を主張したいのかわからない。国歌と国旗を否定することは最高裁にはできない。法で決まっているから。では、何を争っているかというと自分の立場とか保身になってしまう。要するに、処分するなんて酷すぎるじゃないかということになる。今回、最高裁は酷すぎないと判断した。全員一致だったが裁判官も悩んだので意見という形でブー垂れたのだろう。教師としては処分は不当と思っているのだろうが、結果的には全体を乱すことになったということだろう。ある意味、成人式で暴れる成人に近い。我慢できないし、甘い。教師の発言として、「私は石原慎太郎より国を愛している」という発言は、教師としてはどうかと思う。形が違うだけで同じだよ。自分の主義を教えるのではなく、自分で考えることを教えてほしい。もしそれができているのであれば、この運動は後々まで続くだろう。そうでなければ、教師の自己主張のために集まっただけだから、これで終わる。
きっと、この教師よりも私の方が日本を愛していると思う。というぐらいのものだ。
私は、教師の方たちも大変だな~と思いつつも、やはり何を主張したいのかわからない。国歌と国旗を否定することは最高裁にはできない。法で決まっているから。では、何を争っているかというと自分の立場とか保身になってしまう。要するに、処分するなんて酷すぎるじゃないかということになる。今回、最高裁は酷すぎないと判断した。全員一致だったが裁判官も悩んだので意見という形でブー垂れたのだろう。教師としては処分は不当と思っているのだろうが、結果的には全体を乱すことになったということだろう。ある意味、成人式で暴れる成人に近い。我慢できないし、甘い。教師の発言として、「私は石原慎太郎より国を愛している」という発言は、教師としてはどうかと思う。形が違うだけで同じだよ。自分の主義を教えるのではなく、自分で考えることを教えてほしい。もしそれができているのであれば、この運動は後々まで続くだろう。そうでなければ、教師の自己主張のために集まっただけだから、これで終わる。
きっと、この教師よりも私の方が日本を愛していると思う。というぐらいのものだ。