小さな町工場から宇宙への夢を

 

(株)植松電機 専務取締役 植松努さん 
           挑戦しないことが一番の失敗

         
   北海道 大空知総県長 河合毅さん 
           あきらめない心が人生を開く

 

過疎と高齢化が進む北海道・赤平市で、宇宙開発に取り組む町工場があります。今回の「トーク2011」は、マグネット制作の本業の傍ら、20人の社員と宇宙開発という夢の実現へ挑戦を続ける、カムイスペースワークス代表の植松努さんが登場。大空知総県の河合毅総県長と、子どもたちの可能性、あきらめない心や夢を持つことの大切さなどについて、熱き語らいが広がりました。

 

失敗から学ぶことが成功への秘訣

河合 植松さんの著書『NASAより宇宙に近い町工場』(ディスカヴァー・トゥエンティワン刊)を読ませていただきました。夢の実現に向けて、幾多の障壁をもろともせず、飽くなき挑戦を続けられる姿に、本当に感動しました。

 

植松 ありがとうございます。私は宇宙開発への挑戦を通して、「どうせ無理」という言葉をこの世からなくしたいと思っています。過疎化や高齢化が進む人口1万人余りの小さな町で、誰もが「無理」と思うことを実現することで、一人でも多くの人に勇気を与えることができるとの思いで取り組んでいます。

 

河合 人工衛星を開発するため、世界で三つしかない無重力実験棟を建設し、2006年には、人工衛星を制作し、打ち上げに成功しました。ここまで来るには相当なご苦労があったと思いますが。

 

植松 そうですね。爆発しない安全なロケットエンジンの開発を目指し、数多くの失敗を重ねてきました。実験で飛ばしたロケットが、時速700キロで発射地点に戻ってきて、危機一髪ということもありました。しかし、一流の研究者との出会いをはじめ、お金では決して買うことのできない知識や経験、人脈を得られたことが、何よりの財産になりました。失敗から学ぶことが成功への秘訣です。

 

河合 あきらめない心が、成功への直道なんですね。私の母校・創価大学では、学生たちが、小型衛星「Negai〝☆」を開発し、昨年、打ち上げに成功しました。また、関西創価学園では、10年以上にわたり、NASA(アメリカ航空宇宙局)の教育プログラムである「アースカム」に参加し、宇宙から地球の写真を撮るなど、成果を収めています。

 

植松 われわれの取り組みも、ある意味、全く未知の分野への挑戦でした。困難にぶつかり、苦しみ、それらを乗り越えていくなかで、社員一人一人の中に、互いにほめ合う連帯感や優しさ、感謝の気持ちが芽生えてきたのです。

 

 

いろんな興味を持つ子が〝良い子〟

河合 植松さんは、子どものころから飛行機やロケットを作るのが夢だったということですが……。

 

植松 私の家はもともと、自動車の整備工場をしていました。また、隣の家は馬具屋、そのまた隣がかじ屋と、もの作りの町で育ちました。そのような環境で、知らず知らず、もの作りに興味を持つようになったのです。幼いころから、紙飛行機を自分で設計して飛ばしたりしていました。

 

河合 好奇心旺盛な少年だったんですね。

 

植松 ええ、何にでも興味を持ち、いつも虫を探したり、何かを探して行方不明になっていました(笑い)。

 

河合 学校の先生も大変だったでしょうね(笑い)。

 

植松 世間では、大人が管理しやすい子を、〝良い子〟と言うようですが、私はそうは思いません。本当の良い子とは、いろんなことに興味を持っている子だと思います。ボタンがあれば押してみたり、レバーがあれば引いてみたりと、興味を示す子の方が伸びると思います。

〝やってはいけない〟と子どもを縛ることで、子どもの可能性は狭まり、〝どうせ無理〟という言葉が先行するようになると思うのです。

 

河合 創価学会の池田名誉会長は言われています。「子どもたちは、一人一人が無限の力を秘めている。かけがえのない豊かな個性を持っています。朗らかに自信を持たせ、ほめて伸ばしてあげてほしい」と。

 

植松 子どもたちに向かって、一番言ってはいけないのが、「失敗したらどうするの」という言葉です。失敗を許されないわけですから、子どもたちはどうしても、あきらめる方向に考えてしまう。

そうではなく、失敗した時にどうしたらいいか、大人が一緒に考えればいいのです。まずは自分が手本を見せてあげればいいのです。何も挑戦しないことが一番の失敗なのです。

 

 

自信が持てると優しくなれる

河合 子どもたちを対象にした「ロケット教室」も大評判ですね。

 

植松 全国各地から、年間3千人ほどの子どもたちが訪れます。

 

河合 楽しそうですね。子どもたちはロケット教室で、何を学んで帰っていくんでしょうか。

 

植松 〝優しさ〟を持って帰る子が多いと思います。ロケット教室の時に私が気を付けていることは、作り方を教えないことなんです。「説明書を見て分からなければ、できている人のやり方を見て、聞いてください。見て聞いて分かったことを周りにも教えるんです」と。

 

河合 子どもたちに考える力と同時に、人への思いやりを養わせているんですね。

 

植松 それぞれが作ったロケットを発射させる時は緊張が走ります。皆、不安でいっぱいです。そして、無事に自分たちが作ったロケットが、大きな発射音とともに見事に上空に飛び上がると、今度は、「自分にもできるんだ」という自信が持てます。

自信が持てると、人は優しくなれます。皆が優しくなれば、社会は変わっていきます。この教室を行っている意味はそこにあります。

 

河合 あきらめなければ夢がかなうということを、植松さん自身の挑戦の姿で子どもたちに示しているように感じます。

 

植松 困難を前にしてあきらめるということは、〝楽をする〟ことになります。大人になると、楽をする人が多くなる。また、そのような大人が、子どもたちにあきらめ方を教えてしまっているような気がします。

 

河合 今こそ、あきらめない心、負けない心を、大人が子どもたちに伝えていき、生きる喜びあふれる社会にしていかなければなりませんね。

 



 

 

■プロフィル

 

うえまつ・つとむ 1966年、北海道芦別市生まれ。89年、航空宇宙関連企業に入社し、94年、㈱植松電機に。2004年、ロケットの開発に着手。06年、宇宙開発企業「㈱カムイスペースワークス」を設立し、代表取締役に就任。研究開発を行いながら、講演活動やロケット教室を展開する。著書に『NASAより宇宙に近い町工場』など。

 

かわい・つよし 1964年、大阪府生まれ。全国高等部書記長、北海道創価班委員長、同副青年部長などを歴任。創価高校、大学と創価一貫教育で心身を磨き、建設会社に勤務。その後、本部職員となり、96年、北海道に。一人一人への徹した励ましを続ける姿に、周囲の信頼も厚い。64年、入会。岩見沢文化会館事務長。


いつも二つの選択がある


できると思って、始めるか


できないと思って、やらないか



うまくいきそうだからやるのではなく


うまくいくまでやり続けるだけ


それが自分の役割と思えば



~【夢を実現する今日の一言】より~



ある小学校で良いクラスをつくろうと一生懸命な先生がいた。
その先生が五年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、遅刻をしたり、居眠りをしたり
皆が手をあげて発表する中でも、一度も手を上げない少年がいた。
先生はどうしてもその少年を好きになれず
いつからかその少年を毛嫌いするようになった。

中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。
そこにはこう書いてあった。

「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。
弁口もよくでき、将来楽しみ」とある。
間違いだ。他の子に違いない。
先生はそう思った。

二年生になると
「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。

三年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、
教室で居眠りをする」。
三年生の後半の記録には
「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、

四年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」。
先生の胸に激しい痛みが走った。

だめと決めつけていた子が突然、
深い悲しみを行き抜いている。生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かされた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで、教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?
わからないところは教えてあげるから」。

少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。

六年生で先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出会った中で一番素晴らしい先生でした」

それから六年。またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金ももらって医学部に進学する事ができます」

十年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えた事への感謝と、父親に叩かれた体験があるから
感謝と痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。
「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を
救ってくださった先生を、神様のように感じます。
大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生のときに担任して下さった先生です。」

そして一年。
届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母親の席に座ってください」
と一行、書き添えられていた。
先生は嬉しくて涙が止まらなかった。


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僕は、このお話を日本中の先生に読んでもらいたいです。
日本中の大人に読んでもらいたいです。
ダメな人なんていない。
可能性のない人なんていない。
僕たち大人が、ダメだと決めつけてしまう考え方があるだけで…。
【てっぺん大嶋啓介_夢エール】より