【日露戦争】第一章第二節 迫り来る東アジア戦争 | 目指せ!2025年中検準1級合格

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2004年に出版された

日本、中国、韓国、三カ国の学者と教師が

共同で書いた

 

EAST AS蜂起

 

 

 

 

 第二節 迫り来る東アジア戦争 

 

日露戦争

1904年2月から1905年9月、日本はロシアと戦争した。この戦争の目的は何か。

戦争は東アジア三国にどのような意味をもたらしたのか。

 

 

■開戦の本当の目的は何か?

 

これは日露戦争の地図で、戦場はどこか。戦場は日本ではなく、ロシアでもなく

朝鮮と中国の東北地区だった。ここから戦争の性質が見えてくる。

それでは、日本はなぜこの場所でロシアと戦争をしたのか。当時の日本

外務大臣小村寿太郎が開戦半年前に何と言っていたかを見ていく。

 

 

 

    

朝鮮半島は鋭利な刃物同様、大陸から直接日本の中心部に入り込み、そのとがった先端はまるで対馬とつながっているようである。もしほかの強国がこの半島を占領したら、日本の安全が危険にさらされるため、日本はこの状況を容認できなかった。このような事態を避けることが日本の政策であったのである。(1903年意見書概要)

 

 

事実、当時の日本にはロシアの攻撃の恐れはなかった。

しかし、小村は、もしロシアが韓国を占領した場合の日本は危険にさらされるという

考えから始まり、この主張のもと朝鮮をコントロールする必要があったのだ。

この小村の発言によって、この戦争は朝鮮支配と密接な関係があったのである。

 

 

■日本の韓国に対する政策

 

日本政府は軍隊を韓国に駐在させ、韓国の外交、財政を監視し、鉄道、港、

郵便、電気、電話などの通信機関に及ぶ交通機関などを把握し、日本人を韓国の農業、

林業、鉱業、漁業の領域に参入させ、その権限を拡大した。これは日本政府の一貫した

方針であった。ロシアでの戦闘と同時に日本は朝鮮の支配政策を開始した。

 

■戦場となった韓国と中国

 

日本軍が韓国の土地を鉄道地や軍用地とし、韓国側に戦争用に人、家畜、食料を提供させた。

当然韓国人の抵抗はとても熾烈だった。1904年9月、京釜鉄道(ソウルから釜山)と京義鉄道

(ソウルから新義州)の民衆工事の際、数千人の朝鮮人と日本方面で衝突が起こった。

そのほか電話線を断線し、鉄道建設の妨害も各地で頻繁に発生した。これに対し

日本軍は管理を強化し、抵抗運動に対して鎮圧を行った。

 

 

    

日本は政治、軍事上で朝鮮に対し保護的実権を握り、併せて経済上でも利権を握る歩みを拡大した。

(内閣決議概要)

 

 

もう一方で、日露軍が戦争するにあたり、中国当地で食糧や資金を調達し、

中国農民の家屋を焼きはらい、家畜と農作物は略奪し、各地から奉天(瀋陽)に向けて

逃げてくる人々が数万に渡った。

 

 

■帝国主義にひた走る日本

 

戦争は日本人にも大変多くの負担をもたらした。しかしロシアとの戦争で勝利した日本は

領土と戦力範囲の拡大を推し進め、帝国主義の道を突き進んだ。日本はロシアに朝鮮の

統治を承認させるだけでなく、アメリカやイギリスにも承認させるため、朝鮮を自国の

植民地とした。ロシアが掌握している中国の東北旅順、大連の統治権を手に入れ、南満州鉄道を経営し、日本は中国東北への侵入を開始した。日本国内ではいわゆる

世界の一等国の意識を強化させ始めた。