2004年に出版された
日本、中国、韓国、三カ国の学者と教師が
共同で書いた
EAST ASIA
北京、東京、ソウルは、中日韓三国の首都。この三都市の歴史を見ていきましょう。
北京
北京は中国歴史上著名な古都である。1153年に始まり、金朝、元朝、明朝と清朝は次々に
北京を首都とし、特に明朝で北京に首都を建設後、都市の大規模改造が進んだ。
清朝が北京を首都と定めた後、明朝時代に建築された北京城がそのまま保留されており
また西部郊外にたくさんのロイヤル庭園が建設された。
北京の中心は皇帝の住居と政務を行う場所で、皇宮、または紫禁城と呼ばれた。
皇宮の周りは内城で、政府機関と貴族の住居が点在し、兵士が護衛し、外城は一般的に
紳士(地方の有力地主)や平民が住み、手工業と商業活動の場所であった。
北京の人口は100万を超え、3つの大規模な商業の中心が出来、北京は全国の交通道路網の
中心となり、食料の主要は大運河を通って南方から北京に到達した。
江戸
開国以前、日本の大都市は3都市で、政治の中心は江戸(現在の東京)、
天皇は伝統的都城京都に住み、経済の中心は大阪、首都機能を有するのは
最大都市の江戸であった。
江戸に正式に建城されたのは17世紀初期。中心は将軍が政治権力をつかさどる
江戸城で、城の周りは全国各大名たちが建てた家だった。江戸に全国各地から
武士たち、さまざまな職業の商人、工匠人たちが集まった。
18世紀前半、江戸の人口はすでに100万を超え、当時世界で有数の大都市となっていた。
18世紀中期、江戸の町は300ほどから1700に増えた。芝居、民族芸術など庶民文化が
徐々に普及し、生け花や縁日などの娯楽もとても繁栄した。
ソウル
1394年朝鮮王朝が建立されて以来、今日まで漢陽(現在のソウル)は
600年以上の首都の歴史がある。漢陽は城郭に囲まれ、内外に8つの城門がある。
城郭のうちには5つの宮殿と官庁、商家や住居まであった。
これらの建築物は山の土地や平原の天然の地形構造を利用して建築され、自然と互いを補い合っていた。
中間の宮殿は景福宮で南側両側には官庁の建物が並んでいた。中間を走るソウル東西道路の両側は
日常生活用品店が立ち並び、身分の違いによって人々の生活地区には違いがあった。
高官や貴族など勢力のある両班階級は景福宮東側の北村に、勢力を失った両班は南山(木紫山)付近の南村に住んでいた。ソウル中心地帯を横切る清渓川周囲の中村は官邸からとても近い街道で
ここは仲介者が主に住んでいた。朝鮮王朝後期、南大門と東大門の周りには市場ができ始め
徐々に商店街が形成された。
首都として、漢陽は全国を結ぶ道路交通網と通信設備を備えていた。近隣の漢江は税である
米や物品が運ばれていた。
