スティックコーヒーとマウスウォッシュ | 中国語エッセイの本棚

中国語エッセイの本棚

中国の雑誌『読者』を
中心に中国のエッセイを日本語に訳すことをメインに
中国人学生との交流や中国に関することを書いています。

3月に来日した彼女は14歳。

公立中学校の3年生に在籍している。

ワタシは4月から日本語指導の担当になったものの

始まる前から彼女は「懸念」が多かった。

 

日本語指導の担当の決め方は

来日した児童や生徒の学校から会社に連絡があり

コーディネーターが講師に連絡し

 

日程、自宅から学校までの距離を考慮して

承諾するというもの。

 

週4時間、日本語を教えるだけなので

本来それでいいのだけれど

今回の彼女は

承諾したあとに

学校での問題行動についてコーディネーターから電話で知らされたのだ。

 

・リストカットの痕がある

・嘘をつく(薬と偽り、ミントタブレットを持ち込む)

・教師の言うことを聞かない

 

まったくもって後出しじゃんけんである。

 

いくら中国人に興味があって

中国語を使う仕事であれば、少々大変でも我慢できるワタシ

であっても

今回は胃のあたりがムカムカした。

 

コーディネーターの「ずるさ」と

子どもが苦手な理由に該当する「面倒」な生徒である

ということに。

*ワタシは子どもと動物が苦手。じゃれてきたり、うるさいのがイヤ。

 

何をどう考えても今回ばかりは

この「イヤだ」という感情は収まらず

ワタシの中の結論として、何度か指導をしたあと

「手に負えないから辞退します」と言って

この子の担当は降りよう、そう決めた。

 

 

 

 

最初に出会った日。

学年主任、担任、養護教諭、スクールカウンセラーの4人の大人に囲まれ

彼女はやってきた。

少しくせ毛でもっさりした髪を後ろで一つにまとめ、眼鏡をかけている。

日本語はまったく話せず、少し緊張した面持ちで言葉少なめだった。

 

挨拶が終わると、先生方は授業など仕事場に戻り

ワタシと彼女二人になった。

 

すると、彼女は機関銃のようにしゃべりだした。

「私は今、14歳。中国では中学2年生なのに、日本では中学3年生にされている。

来年高校受験をしようと思っているけれど、今のレベルでは絶対に受からない。

中学2年生のクラスに入るか、来年留年をしてもう一度中学3年生をやるか

どちらかにしてほしい。最初はできると言われたのに、なぜできないのだ。おかしい」

 

2時間の授業の中で

教科書の本文を読んだり、問題を解くたびにこう訴えられた。

 

高校時代まで同居していた曾祖母が認知症になったころのことを思い出した。

おんなじことを何度も何度も言う。

志村けんのコントのようだった。

これは認知症を介護をし始めた人が最初に直面する壁である。

認知症は脳の病気で、言ったことを忘れてしまうのだけれど

彼女の場合は病気ではなく

高校受験が「懸念事項」であり

来年進学する高校の目途が立たないと何も手につかないし、考えられない

という状況なので

ひとまず授業を中断して、この件についてスマホで調べてみた。

 

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日本では2009年4月~2010年3月までに生まれた人は中学3年生に属し

学校の1年は4月から翌年3月という数え方である。

一方中国は9月から翌年8月までのため、彼女は中国では今年の9月から

中学3年生になるのである。

 

公立中学校での留年が可能か否か。

一般的に留年は不登校による、出席日数の不足で、本人が希望した場合に

可能になるとのこと。

基本的に成績の良しあしでの留年は公立小中学校ではおおよそないとのこと。

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詳しいことは学校に確認し、自宅に帰って再度調べてみるとして

今、わかることはこれだと、彼女に伝えた。

納得はしていなかったけれど、現時点の結論を伝えたことにより

繰り返される質問はとりあえず止まった。

 

けれども、次には

日本語は難しい、高校受験までに必要レベルに到達するのは不可能だ、

と愚痴が息を吐くように出て、ため息、あくびと続く。

 

人差し指で、机をコツコツしながら、ワタシは彼女の様子を

じーっと眺めた。

 

「世界中で一番習得が難しいと言われているのは中国語です。

日本語は第4位です。その世界中で一番難しいと言われている中国語を

ワタシはあなたが生まれる前から勉強していますが、いまだ発展途上です。

それでも、そういうことを言いますか?」

 

 

彼女の細い目がパッと開いた。

はぁ???びっくりそんなに中国語勉強してるの?先生、よくやってるね!

やっぱり中国はすごいんだ。中国の歴史は長いからね。だからきっと中国語は世界中で一番難しいんだ!」

中国がいかにすごいかを話すとき、彼女の目は普段の3倍くらい開く。

 

 

「文句を言っていても、ただ気持ちが沈むだけですし、時間の無駄です。

その文句を一番聞いているのは自分の耳で、自分で自分にできない、できないと言い続けたら、

できるものもできなくなりますが、それをわかって言っているんですか?

 

 

すると彼女はだんまりして「无语」(なにもいえません)と言った。

この「无语」は口語では使わない、文章語なのだが、中国語の口語文章語も彼女は意識せずに使う。

同時に、中国語ではそれほど多くない敬意を示す言葉(日本語の敬語)はあまり使わない。

彼女が発する言葉は田舎の身内言葉と愚痴のオンパレードなのである。

 

マザーテレサの言葉が、頭に浮かんだ。

 

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか人格になるから。
人格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

―― マザー・テレサ(カトリック教会の聖人、修道女(ノーベル平和賞受賞))

 

ため息やあくびは中国では日本ほど失礼なものとはされておらず

郵便局やお店の店員さん、学校の先生もごくふつうにするので

中国人のため息やあくびはそう気にならないのだけど

ここは日本。

 

郷に入れば郷に従え

 

中国と日本との感覚との違いを知らずに日本人から色眼鏡で見られたり

日本人との間に距離ができてしまうのを極力さけるために

「感覚や習慣の違い」を伝えることがワタシの仕事だと思っている。

 

彼女の場合は、この2国間の違い以外に

校則を守る、約束を守る、忘れ物をしない、など

本来身に着けているはずのことが身についていないので

ワタシはけっこう厳しいことを毎度言っている。

先日は授業のほとんどが厳しい発言で終わってしまった。

 

厳しい先生=指導力がないから圧力をかける

という構図がワタシの中であるので

自分の「伝え方」に問題がある、と落ち込んだりもしたが

 

この案件はそもそも「あとだしじゃんけん」で

早々に手を引こうと思っていたわけだから

彼女から「先生が厳しい」というクレームが入れば

ワタシにとっては渡りに船なのである。

 

なるようになれ、という感じだった。

 

 

「先生、今日、トイレでスティックコーヒーを口に流し込もうとしたけど

うまく口に入らなくて飲めなかった」と彼女はさらりと言った。

 

厳しいことをかなり言ったが、まだワタシは嫌われていないらしい。

それどころか、担任に伝えられては困るであろうことを平気で口にする。

これは、ワタシに対する信頼なのか?それともスティックコーヒーを持ってくることが

校則違反だと気づいていないのか。

 

スティックコーヒーは粉薬じゃないからね!!!ポーンと心の中で叫びながら

 

「え?あなたコーヒー好きなの?」と聞くと、好きではないという。

中国人は夜眠れなくなるという理由で、コーヒーを好まない人が多い。

中国で中国人の友だちを何人かスタバに誘ったけれど、一緒に行ったことはない。

 

「どうして、そんなものを学校に持ってくるのですか?持ってきてはいけないものですよ」

そう言ったのに、彼女は

「日本はお湯がないから・・・」と。

 

中国は冷たいものを飲むという習慣がなく(今は海外の影響で飲んでいる人もけっこういる)

学校や職場には水道のほかにお湯をくむための大きな湯沸かしタンクのようなものがある。

以前はそれに日本でいうインスタントコーヒーの空き瓶のような瓶に茶葉を詰めて

そこに一日お湯をつぎ足して飲む、というのが中国のスタイルで。

今はその瓶も進化しているけれど、むかしはまさにインスタントコーヒーの大きな空き瓶水筒で

お茶を飲んでいるのがふつうの風景だった。

 

「先生、マウスウォッシュはいいですか?」

 

「マウスウォッシュ?それはわかりませんが

新型コロナウィルス以降、学校でのうがいも飛沫感染になるとかで

歯磨きも禁止されてる学校もあるから、どうでしょう。担任の先生に聞いてみないと・・・」

 

スティックコーヒーにマウスウォッシュ。

日本の中学生は学校に持ってこないであろうものを

なぜ彼女は規則に反してまで持ってこようとするのか。

 

一般の中学生なら、校則違反だから持ってきてはいけない

と考えられるところ、彼女は校則違反という思いは薄く

それよりもその二つを

「学校で使う」というところに重きがある。

 

 

その理由は・・・?