第3章第4節 朝鮮の戦争基地化と民衆の損害
皇民化政策とは日本が朝鮮人を皇国の臣民にするため、すなわち天皇に忠誠を誓う日本国民として推進する政策である。
その目的は朝鮮人を戦争に動員するためであり、日本が起こした侵略戦争にさせるためであった。それでは共に皇民化政策の理念とその具体的措置が一体どのような内容だったのかを理解していきましょう。
…補足…
「皇国の臣民」は、日本の歴史において、特に明治時代の植民地統治の下で、朝鮮人を戦時動員体制に組み込むためにとられた一連の政策を指す。この政策は、朝鮮人の民族性を抹殺し、日本人化することを目的としていた。
また、明治憲法においては、臣民は天皇に支配される人々を指す。
“日本と朝鮮はひとつ”
内鮮一体はまさに統治の最高指導目標であった。形態上、精神上、血液上、肉体上すべてで一体になるという意味である。
朝鮮総督南次郎はかつて、このように話していた。なぜこのような発言が出るのか。これは日本がすでに中国侵略戦争において規模を拡大し、正式な戦時体制に向かっていたものの、日本人の力だけで戦争に向かうには骨が折れた。そのため朝鮮人を戦争に動員して参加させる必要があった。できる限り朝鮮人を自発的に戦争に加担させるため、内鮮一体という概念を強調し、すなわち日本は「内」と朝鮮の「鮮」をひとつとした。学校では繰り返し内鮮一体を強調し、村中至る所に「内鮮一体」のポスターを貼り、「内鮮一体」の看板を立てかけた。「内鮮一体」は至るところで目にするスローガンとなった。
≪皇国臣民の誓詞≫の暗唱
正午になると朝鮮人は何をしていようと、皆、日本の天皇がいる東京の方角に向かって深々と頭を下げた。
学校の学生は毎日運動場(体育館)に集合し、日本皇居のある東を向いて拝み、≪皇国臣民の誓詞≫を暗唱しなければ
ならなかった。これは*宮城遥拝(きゅうじょうようはい)と呼ばれた。
日本人ではない朝鮮人は日本天皇の臣民として天皇に忠誠を尽くすため、繰り返し宣言する必要があったのである。
朝鮮人が集まるところでは大声で≪皇国臣民の誓詞≫を暗唱しなければならなかった。
はなはだ結婚式でも新郎、新婦、参列者全員が起立して≪皇国臣民の誓詞≫を暗唱しなければならなかった。
…補足…
*宮城遥拝(きゅうじょうようはい)*
日本の皇居(宮城)の方向に向かって敬礼する行為です。この行為は、天皇への忠誠を誓うものであり、
特に第二次世界大戦中には戦意高揚を目的として盛んに行われた。宮城遥拝は、日本国内だけでなく、
外地や外国でも行われていた。
≪皇国臣民の誓詞≫(子供用)
1.我々は大日本帝国臣民である。
2.我々は一致団結し、天皇陛下に忠誠を尽くす。
3.我々は優秀で強固な国民になるために厳しく鍛錬する。
ー朝鮮総督府≪施政30年史≫1940年
日常生活で日本語の使用は必須
“内鮮一体”の目的を徹底して達成するためには、日本植民当局はもっとも重要なのが
すべての朝鮮人が日本語を話すことであると考えた。学校では朝鮮語を教えなかった。
1942年、正式に日常生活で日本語を使用する運動を展開した。学生は行内、甚だ、学校外でもお互いに
日本語を話しているかどうかを監視しあった。もし朝鮮語を話しているのが見つかると、
罰せられた。事務室内、仕事時間も日本語の使用は必須で、もし違反すると処罰された。当時、朝鮮人で
日本語が話せないと、日常生活がとても大変なものに変わった。
創氏改名(そうしかいめい)
1940年から、日本は朝鮮人の姓名を日本式に変えるよう強制し、これを創氏改名と呼んだ。
いわゆる“創氏”というのは日本人の姓を使用するということであり、“改名”とはすなわち苗字を日本式に変えるということである。朝鮮総督府は創氏改名は日本人と朝鮮人が一体になるために必須であると宣伝した。しかし創氏改名は簡単な個人の名前の変更問題ではなく、根本的な朝鮮伝統的家族制度が崩れ落ちるということであり、天皇制度の下で、日本家族制度に変更するということは、朝鮮人の祖先との関係が断たれるということだったのである。朝鮮人からすると姓を変えることは祖先と家族を放棄することであり、根本的にあるえないことなのである。
朝鮮総督府はあらゆる方法を利用して朝鮮人に創氏改名を迫り、表面上は期限を設定し、朝鮮人に自分の姓を申告決定させたが、実際もし日本式の姓に変更しなかった場合は、子どもを就学させず、あらゆる手続きも受け付けられなかった。改姓しないものは配給もされず、はなはだ郵便も受け取れなかった。創氏改名をしない朝鮮人に対し、総督府は強制的に日本の姓を与えた。ある人は朝鮮総督府の圧力により、子どもを学校に入れるために改姓をせねばならず、しかし最終的には祖先に対し謝罪し、自滅の道を選んだ。一部の人と家庭は祖先崇拝の意識から始終創氏改名を拒絶した。

