どうも、別格です。

先日、「しない」抱負について考えてから「する・しない」が気になっています。

するしない、するしない、するしない。

まるで花占いのようにあたまの中をぐるぐるしています。

例えば、やさしさ。

するやさしさと、しないやさしさ。

親子、夫婦、友人、恋人、兄弟、同僚、上司と部下、先生と生徒。

いろんな人間関係の中でするやさしさとしないやさしさがありますよね。

プレゼントを贈る、手伝う、励ます、教えるなどの「する」やさしさ。

放っておく、見守る、泣かせておく、自分で考えさせるなどの「しない」やさしさ。

大切な人が困っていたらつい手や口を出してしまうもの。

それをぐっと堪えて見守っているのはなかなかできない。

先日も書きましたが、するのは割と簡単で、しないのは案外難しいものです。

それとは別に、やさしさにはもう一つあるんじゃないかと思っています。

「する」やさしさに似ているけどちょっと違う。

それが「させない」やさしさ。

生活ってリセットの連続。

リモコンがいつもの位置あって、冷蔵庫にはいつものヨーグルト。

いつの間にかリビングのこたつが扇風機に変わっている。

リセットすることって手間もひまもかかるのに、プラスの行為じゃないから喜びも少ない。

時に虚しくなりながらもゼロを保っているところに、靴下が脱ぎ散らかされていたり、トイレの便座が上がっていたり、飲み終わったペットボトルがキッチンに置きっぱなしになっていたりすると、簡単にマイナスになってしまう。

些細なマイナスだけど、地味に損なわれ続けるので、たまの掃除くらいでプラスにはできない。

ただゼロに戻しておく。

マイナスに「させない」というやさしさ。

華やかでもないし、なんなら気が付かれないこともあるかもしれない透明なやさしさ。

そんなもう一つのやさしさがパートナーシップにはわりと重要だと思っています。

こっちはこんなにしてあげてるのに何が不満なんだよ、と思うときは、やさしさの色違いを試してみることをおすすめします。

そう思うと、毎日の暮らしって誰かの透明のやさしさで守られまくってる。

透明感を損なわないように生きていきたいものです。

ではまた。