2千何百年も前から嘘を刷り込まれていたら、そりゃ何がホントのことか、わからなくて当然だと思います。でも教わってきたことを冷静に振り返ると、世界最古の文明はメソポタミア地域でシュメール人が興したと。今から5千年くらい前。ところが我らの縄文時代は1万5千年前としています。これだけでも縄文文明が世界最古になります。

ところが、白人種は、それが気に食わない。世界中のあちこちで縄文人の遺骨が出てくるのも気に食わない。だからさっさと博物館の倉庫の奥に隠しておく。文献や遺物の年代測定をしても自分たちの文明はせいぜい数千年なのに、日本は数万年どころか10万年、それ以上になる。何から何まで気に食わない。日本人が憎らしい。

それなので、縄文時代の研究はさせない。学校でも原始時代の原始人と教える。だから日本人のほとんが、縄文時代のことは永らく知らされてこなかった。

数年前に、国立博物館で縄文展が催されていました。私も見てみたいと思った。ニュース画像をみて驚いた。平日にも係わらず激混みだった。お祭り縁日の参道みたいだった。

私はすぐにわかった。ここにきている人たちは皆、日本人だ。縄文人のDNAが騒ぎ出して行かずにはいられなくなった。見たい知りたい欲求に駆られて出掛けて行ったと。展覧会は花火大会の混雑のようなので、私は行くのはあきらめました。

でも嬉しかった。多くの日本人が縄文を求めていることがわかった。

現在、地球文明の転換期に入って、隠されていた部分や嘘が表にさらけ出されるようになりました。今も毒出し、膿出し、闇出しは続いています。個人レベルでも同じです。

縄文時代について言えば、生活全体が豊かな定住であり、精神レベルが非常に高く、高次元の意識体とも繋がっておりました。

この縄文人を優しく見守っておられたのが、現在知られているところの名前で言う「コノハナサクヤヒメ」と「セオリツヒメ」と「イワナガヒメ」です。もちろん男神もおられます。渡来人が来てこの女神3柱が封印されました。お祀りしていた聖地の上に鳥居と神社を立てて、自分たち渡来系の神様を祀りました。

「アマテルオオカミ」は太陽の男神として実在されますが、「アマテラスオオミカミ」とかいうのは適当に作った架空の女神です。それなので影も形もありません。その名前にお祈りを捧げても、まったく意味がありません。

伊勢神宮には「アマテラスオオミカミ」などという架空のインチキ女神ではなく、縄文からの神様がいます。それを確認しに年内にお参りする予定でおります。

縄文の話と伊勢神宮の話は、別の機会に譲ります。

 

今回は連続記事で、世界四大文明を追ってみます。現在に残された遺物で状況証拠を紹介しながら、事実の構築は古代研究家「高橋良典」さんの各著作物から参考にさせていただきました。

太古の文明をもう一度、おさらいしておきます。

約5万年前に栄えたのが現在の太平洋上に浮かんでいたムー大陸とその文明です。西にはアトランティス文明がありました。スペインの左沖です。

実はその前にも「レムリア」というものもありました。正確に言うと、こちらもムー文明です。後の白人種が「レムリア」と呼んでいただけです。同じものを違う名で呼ぶだけです。「ニホンジン」と「ジャパニーズ」の違いです。このインド洋に浮かんでいた文明もムーです。

1万5千年前に彗星が地球に近付き、氷を溶かして地球に大雨を降らせました。これにより地球の水位が4000m浮上し、後に2000mまで落ちていきました。現在の水位となります。これで全ての高度文明が海の底に沈みました。

この高度文明と並行して、日本列島にはすでに精神性の高い人たちが住み着いておりました。3万7千年前からです。この人たちが縄文人の祖先になります。この人たちは水没しませんでした。一方、沈んだ陸地から逃げた人々は南米やハワイやユーラシア大陸へと散って行きました。日本列島に辿り着き、縄文生活に溶け込んでいった人も多かったと思います。ユーラシア大陸に渡った人は、白人や黒人なども引き連れて行き、やがてそれぞれに散って定住し、新たな文明を築いていくことになります。

ヨーロッパに固まって移動した白人たちは、アトランティスの残りと交わり、後に異星人に取りつかれて「アッシリア」という種族になります。

 

さて地球大異変の後、ユーラシアに率いて行った日本人指導者が各地で文明を興します。

それが現在でいうところのメソポタミア、インダス、エジプト、黄河の世界四大文明です。この四大文明、実は日本人が作ったということは、おそらく世界中どこを探してもそのように教えているところはないと思います。発表したところで変人かオカルト扱いでしょう。

ところが地球自体が変革の時を迎えている今、このことが世に知れ渡るのは時間の問題だと思います。すべてここに記した通りだとは思いません。細かいところで違っていることもあると思います。しかし大筋では事実に近いと思います。

 

地球大災害後の最初の文明は6500年前のシュメールです。

これは王朝国家となります。王朝というのは、同じ家系の王様が代々続けて国を治めている期間や時代のことをいいます。

日本人による、正確には縄文人(ムー人)の子孫による王朝は「ティルムン」と呼ばれていました。王の名は「ウトナピシュティム」といいました。

首都国家はメソポタミアにありました。今のイラクです。

そこに住まう王朝や庶民の人たちは、現在ではシュメール人と呼んでいますが、王朝当時は「カラ」または「クル」と呼ばれていました。

ティルムン王朝は、その後も場所を変えて次々に文明を興していきます。

ティルムン王朝の一覧表を下記に記します。年代は、本当はもっと古くなりますが、混乱してしまうので、現在の一般的な学術結果によります。

 

 

年代

首都国家(首都名)

初代または主要王様名

ティルムン

第一王朝

BC1500

~1350

シュメール

(ウルク)

ウトナピシュティム

(息子はギルガメッシュ)

ティルムン

第二王朝

BC1350

~1050

インダス

(ペシャワール)

ドリタラーシュトラ

ティルムン

第三王朝

BC1050

~770

エジプト

(テーベ)

ツタンカーメン

ティルムン

第四王朝

BC770

~400

東大国

(九州)

スダース(スサダミコ)

ティルムン

第五王朝

BC400

~221

出雲王国

(現在の中国大陸)

オオクニヌシ

 

まずはシュメール文明についてですが、シュメールというのは後の時代に西洋人がつけた名前で正しくはティルムン第一王朝です。この地は古代より多くの民族の通過点であるため、いくつもの文明が折り重なって積まれていきます。そのため一番下の古い文明の証拠が破壊され抹殺され埋もれて不明なところが多いです。

 

このシュメール文明が日本と大きな係わりがあるという状況証拠が文字です。

皆さんは、シュメール文字は楔(くさび)形文字であると教わりませんでしたか。

正確に言うと楔形が作られる前の、元になった文字があります。それを「ウルク古拙文字」といいます。世界中のペトログラフに刻まれているこの文字が、シュメールの楔形文字より以前の日本の古代文字です。ペトログラフとは岩などに刻まれた文字のことをいいます。

世界中で研究され、学会も催されています。白人の研究者たちは、インディ・ジョーンズのようにジャングルや高山に赴き、数年かけてやっとひとつ見つけるといった程度です。

ところが日本では、古い神社や聖地と呼ばれる山の中に、岩に刻まれた文字(ペトログラフ)がごろごろしています。

日本のペトログラフ研究者ある「吉田信啓」さんが、ある時その学会に呼ばれました。

白人研究者が次々と発表していきますが、見せるペトログラフはせいぜいひとつかふたつ。

吉田さんは何百というペトログラフを見せてしまったものだから、会場中があっと驚く。

だけでなく、アメリカやカナダの政府関係者に付きまとわれ、何人ものユダヤ人風の男たちに尾行されていたそうです。つまり日本のペトログラフ、古代文字は本物であるという証拠になります。神代文字についても、別の機会に記事にします。

ウルク古拙文字と神代文字の変遷を画像にしたかったのですが、なかなか分かり易くていい画像が見つかりませんでした。

粘土板の解読内容の一部を紹介して1回目を終わります。

・シュメール人は自らのことを「黒頭の民」と呼んでいる。

・孤立した言語である。

・古い遺跡の絵によるシュメール人の容貌は、剃髪して彫が浅くヒゲがない。

・大洪水後にシナル(シュメール)に住みついたのは、東からやってきた人々である。

・古拙文字から楔形文字に変わっていく過程が、象形文字から漢字になっていく過程と同じである。

・表意文字と表音文字の使い方が日本語と同じである。つまり1文字で意味をなす文字と音だけの文字を混用しているということ。例えば「光が」という文字の場合、「光」が表意文字、「が」が表音文字。アルファベットの場合、1文字だけで意味を表すことがありません。全て表音文字の組み合わせになります。「HIKARIGA」または「LIGHT IS」となります。

つづく