日本留学を終えて、その後再び日本を訪れ、1982年から10年間は朝日新聞の編集委員として文学研究の他に記事を発表していきます。このときに書かれた著作の中でも特におもしろいのが「日本人の質問」と「百代の過客(はくたいのかかく)」です。

キーンさんはそれこそ手放しの日本礼賛者と思っている方もいらっしゃるかと思いますが、

それは違います。日本人の悪いと思うところや、改善すべきところも厳しく指摘しています。「日本人の質問」から対話式に直して一部紹介します。

 

(タクシーの中)

「日本語お上手ですね」

「ありがとうございます」

「どちらからですか」

「ニューヨークからです」

「アメリカですか。ハンバーガーとかステーキとか毎日食べてるんでしょう?」

「いえ、毎日は」

「(遮って)やっぱりな、アメリカは違うな。日本は食べ物が違うから不便でしょう」

「そんなことはありません」

「え?そうですか?刺身とか食べられます?」

「お刺身ですか。はい大好物です」

「(意外)へーっ。納豆はどうです納豆」

「納豆も大好きです」

「(がっかり)へーっ。そうなんだ」

 

質問した運転手は、食べられないことを期待している。だから食べられるとわかると納豆はどうか、塩辛はどうかと聞いてくる。どこに行っても同じ質問が繰り返されたそうです。

これは「日本人は自分たちの特殊性を意識しすぎている」からだとキーンさんが指摘しています。他の国とは違う唯一の存在であるという意識が、多くの日本人の中に潜んでいるからだということです。今から40年前のことになりますが、現在もその意識が多くの日本人にまだ残っているのではないかと思われます。

もちろんこの時のキーンさんあてには抗議の声が上がりました。

キーンさんが危惧していたのは、これから(1982年以降)の国際社会を見据えて、孤立する、あるいは誤解される、あるいは利用される日本を危惧していたと私には考えられます。

特殊性や世界で唯一の存在であることを誇りに思ったり自信を持ったり意識するのは良いことであり、日本人なら当たり前のことだと私には思います。

キーンさんが言いたかったことは、違いを比較して喜んでいるだけではいけない。自慢しているだけではいけない。その違いを世界に向けて発信すべきだということです。世界に向けて理解してもらえるように努力すべきであると言いたかったのだと思います。

40年後の現在、事情はもっと複雑になってしまいました

日本を完全に乗っ取り支配しているのは在日の帰化人です。日本の文化や風習を、日本人に気付かれないようにことごとく潰しています。

さらにキーンさんが危惧していた意識をも利用しています。

人間には、自身が実際以上に評価されると脳が興奮状態になり、物事を客観視できなくなる性質があります。日本礼賛番組が氾濫し、日本人自身が日本精神のすばらしさを強調していると、そこに外的なコントロールが存在していることに気付かなくなります。それこそ日本人が操られやすい弱点となります。このいい気分状態を利用して民衆を操る方法に日本人は弱いのです。それがコロナ騒動に繋がり、トランプが正義の味方と思い込ませられるようになるのです。

舞踏家である千賀一生(ちがかずき)さん著作の「ガイアの法則Ⅱ」に、キーンさんが心配していた部分に繋がることが書かれていました。その部分を引用させていただきます。

「日本精神や日本の優越性を強調する背後に、日本人のプライドを刺激する諸々の思想や団体の背後に潜む、巧みなコントロールを見破ることのできる日本人が育つかどうかが、今後の日本人の未来を大きく左右することになるだろう」

つづく