あっけないというか、唐突な終幕であった。
「タテルヨシノ銀座」ウェブサイトに閉店の告知が出たのが、11月18日。
そして最終営業日は、11月30日。
あまりにも急で、猶予も短く、「そんな殺生な・・・」と嘆いたファンも多かろう。
新型コロナの影響で、噂はされていたし、従業員たちも何となくそんなムードを漂わせていた。
運営会社も、これ以上の出血には耐えられなかったのだろう。
東京では、芝パークホテル、汐留パークホテル、そして銀座と、一時期は3店舗が居並んだ。
2003年3月の芝のオープン・レセプションから見守ってきた身としては、1つ、また1つと灯りが消えていったのは、誠に寂しいことであった。
そしてついに、残った1軒も。
盛者必衰とか、多店舗レストランの定めとか、色々理屈はつくだろうが、もしもコロナ無くんば、と思わずにはいられない。
最後の営業日に訪問。
当たり前だが、最後の夜は満席に。
毛ガニのトマトファルシ、緑ピーマンのジュレ。初めて食べたのは、確か芝の店だった。この日のはとりわけ、味がぼんやりしていた。たとえ名物料理であっても、晩秋・初冬に出す料理ではないような。
キジのブイヨン仕立て、腿肉のキャベツ包みとクネル。これは、パリで初めて食べて、以来、数え切れず。東京ではミニチュア料理みたいに、具材はどれも小さくなった。
吉野シェフの冬の前菜といえば、これかな。チリメンキャベツ、フォアグラ、黒トリュフのテリーヌ。
パリの店で初めて食べたときの驚きを、今も思い出す。フォアグラもトリュフも、もっとぎっしりで、ポーションも「イタリアン・トマト」のシフォンケーキみたいに、豪快に出してきた。あれは美味かったなあ、90年代後半の吉野さんは輝いていたなあ、と感慨ひとしきり。
阿寒湖のザリガニのグラタン。これは吉野さんの生み出した料理ではないけれど、古典への思い入れが滲み出ている。
こういう料理を、次の世代が厨房で造る機会を、与え続けたということ。特に、汐留ではフランスの地方料理に力を入れていたので、それだけに惜しまれる。
アンコウのロティ、シェリービネガー風味のベーコンの泡。これも、しっかりとした古典の技術に裏打ちされた一皿。
メインは、本当のところ、ジビエのトゥルトが食べたかったが、支配人のゲリドンサービスを最後に観るために、青首鴨の料理を。
プレス・カナールで絞ると、ジャーッと血汁が出てくる。それを手早くソースに仕上げて、提供。
凝固が進まないからか、血のニュアンスがより鮮明に感じられた。抗いがたく、旨い。
ラム酒の香るババ。あっけない幕切れにふさわしい、シンプルなデザート。
ここらが潮時だったのか、それとも早かったのか、それぞれの客がそれぞれの思いを巡らしているだろう。
で、吉野さんの何度目かの再起は、あるのだろうか。
これで今年最後のブログになります。メリー・クリスマス&良いお年を!
そして新年1日からは、ブログを引っ越します。新たなブログのURLは、
https://osyokujitecho.fc2.net/
となります。引き続き、ご笑覧いただけますよう、お願い申し上げます。