でも、ほとんどの人は思いを叶えられぬまま生涯を終えてしまう。
飲まれることより、語られることの方が圧倒的に多いワイン。
ロマネコンティ。
神に祝福された葡萄畑は、わずか1.8ヘクタール。
年産、多くて6000本ほど。
数知れない伝説に彩られた神品。その1976年物と対峙しました。
飲むのは2度目です。
前回は、2001年のこと。
1978年物でした。
爆発的なブーケ。雨上がりの森の下草、なめし皮などの熟成香はむせ返るほどでした。
一口すすれば、甘やかな第一撃。丸くふっくらした味わいは、ルノワールの絵画「陽光を浴びる裸婦」を彷彿とさせるものがありました。
あの感動から、10年余。
今度は36歳のロマネコンティと合いまみえることになりました。


見事なツラ構えのエチケットです。
歳月が宿した風格。男もこうありたいものです。
「いざ、抜栓」の何日も前から、期待と不安が交錯し続けました。
不安の最大要因は、あの短編小説。
開高健の「ロマネ・コンティ・1935年」です。
冬の日曜日、高層ビルのレストランで飲んだロマネコンティを描いた小品。DRCの共同経営者ヴィレーヌ氏も仏語訳を読み、高く評価しているそうです。
「小説家は、手ひどい墜落をおぼえた」
「ただ褪せて、水っぽく、萎びていた」
とどめは、この一言。
「酒のミイラであった」
開高健が飲んだのは1972年ですから、37歳のロマネコンティです。
35年は良作年。76年と似たような評価でした。
なのに、です。
この世で最も高貴な酒は、ミイラと化していたのです。
私が飲んだ76年物、実は随分前にさる方から譲り受けたものでした。
今では、売っていたとしても、とてつもない値段です。
それが既に死んでいたとしたら・・・。
ただひたすら、サン・ヴァンサンの神に祈りました。
どうか、ブショネでありませんように、と。

緊張の抜栓。
審判の時が迫ります。
神の液体は、紅の鮮血をほとばしらせるのか。
続きは次回!(テレビっぽい)。