日本の『村社会主義』とは・・・?
こんばんは。今回は、昨日ちょっと書いた『村社会主義』について書きたいと思います。あっ、先にお断りしておきますが、今回はかなり個人的解釈が含まれておりますので、お気に召さない方はスルーしてくださいね。さて・・・・、先ずは『村社会主義』とはなんぞや・・・?と、言うことから書きたいと思います。日本はそもそも『村』から始まり、その後『町』に大きく発展した経緯があります。村では基本的に、何かを決める方法として『多数決』が基本ですよね。その証拠に、日本の政治自体での決議でも基本的に『多数決制』です。しかし、この『多数決』・・・非常に便利であるが、厄介な代物でもあることにお気づきでしょうか?例えばですね。何かのルールをみんなで決めようとしています。一つは『今までの常識では正しいもの、でもこれからの時代にそぐわないもの』もう一つは『常識を逸脱した馬鹿げたものではあるが、これからの時代には必要なもの』であったとします。最初の協議で、当然それぞれの意見をぶつけて話し合ったとします。しかし、いざ『多数決』で決議したら、『今までの常識では正しいもの、でもこれからの時代にそぐわないもの』が圧倒的多数で勝利します。こうなってしまうと、いくら『常識を逸脱した馬鹿げたものではあるが、これからの時代には必要なもの』の正当性を唱えても“後の祭り”であります。最悪の場合、少数派意見を唱える者は、『異端者』扱いされて淘汰されるかも知れません。これこそ 俗にいう『村八分』と言うやつですね。そしてこのシステムそのものが『村社会主義』と言うことです。『 “多数意見”の中に身をおくことで、安心感を得ること。』・・・、『 “多数意見”に同調することで、自分も正しい人間だった・・・と根拠の無い確信を得ること。』ではないかと自分は考えるのですが・・・。どうでしょうか?「そんな極端な例は、大げさすぎでは?」と思うかもしれませんね。しかし周りを見回せば、『原発』・『高齢者』・『北朝鮮』etc、etc・・・・と、いっぱいありますよね。『正論を唱える多数派』VS『異論を唱える少数派』『異論を唱える多数派』VS『正論を唱える少数派』いずれも結果を同じで『多数派』の勝利は変わりません。たとえ、その『多数派』の意見が間違っていても・・・です。そして、『多数派』が勝利した暁には、その『少数派』を“完全否定”するのです。「 『多数派』の俺たちが正しかったぞ。『少数派』のお前たちは間違っているぞ。 」てね。もう一つ例を挙げましょう。例えば、あなたの“大嫌いなもの”を身近な誰かが“大好きだった”としますね。その人に会って、その“大嫌いなもの”の話しになったとします。あなたは何て答え、どのような気持ちになりますかね?「そんな“大嫌いなもの”を“大好きだった”あなたの気が知れない。」と、思うか・・・。もしくは、「自分はそれを“あまり好きではない”んです。けど、あなたはそれが“大好き”なんだね。」と、思うか・・・。どうでしょうか?だいぶ印象が違いますね。『自分の受け入れられないものを“否定”するか』もしくは、『相手の気持ち・意見に、自分はそぐわない、しかし相手の気持ち・意見は尊重する。』ここで大切なのは、無理に相手に“同調”しないことであります。“自分は自分”、“相手は相手”、このスタンスで物事を見れば、打開策が見えてくるような気がしますがね。では、今回はここまで