荼毘 | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

寺に勤めている。

 

坊主である。

 

日々行うことは一掃除二勤行となる。

 

掃除はお堂、庫裏、墓地などを綺麗にする。

 

勤行は、朝のお勤め、年回法要などとなる。

 

仕事を始めてから20年近くになる。

 

小さな町寺である。

 

それでも多くの儀式に立ち会ってきた。

 

しかし、儀式はいまだに緊張する。

 

特に荼毘(だび)式は顕著である。

 

初めて火葬場へ行ったのは6才のときだ。

 

神奈川県と静岡県の境にある火葬場だった。

 

住宅地から少し山を登ったところにあった。

 

両親の友人のお父さまを荼毘に付した。

 

私もお話をしたことがある方だった。

 

葬儀での読経は思い出せない。

 

火葬炉へ御身体を納めたことも覚えていない。

 

記憶は待合室で休んでいるところから始まる。

 

(なんだ?)

 

しばらく部屋で座っていると、強いにおいがしてきた。

 

両親に質問をした。

 

「身体が焼けるにおいだよ」

 

衝撃をうけた。

 

現在の火葬場は、どこもとても綺麗である。

 

だから、とくべつなにおいはしてこないのであろう。

 

当時は、45年くらい前となる。

 

新しくなる前の施設だったのである。

 

「外へ行く」

 

私は部屋にいることができなくなった。

 

そこで、母親とおもてに出た。

 

ただ、野外も同じである。

 

煙突のまわりの空気が揺れていた。

 

「坂を降りようか」

 

斎場から離れるように、母親と坂道を進んだ。

 

どこを歩いていたのかわからない。

 

どれくらい歩いたのかもわからない。

 

母親が時間を見計らっていたのであろう。

 

待合室に戻ると、やがて収骨となった。

 

(……)

 

ここでも再び大きな衝撃うけた。

 

数時間前まで御身体はあった。

 

ところが、今は骨しかない。

 

どうしてこのようなことになるのか。

 

理解ができなかった。

 

混乱した。

 

(人はみな骨になる)

 

頭では理解しているつもりである。

 

しかし、今の年齢になっても身体が完全にはついてきていない。

 

幼いころの衝撃によるものだろうか。

 

覚悟ができていないからなのだろうか。

 

いずれにしても、だから、荼毘式はどうしても緊張してしまう。

 

(坊主としてはいかがなものか)

 

ようするに修行が足りていないのである。

 

 

法相宗・貞慶上人のお言葉です。

 

『解脱上人のことば。「一年三百六十五日は、すべて無常の理にしたがっているはずだ。だから、一日のうちで十二の刻は、全部、臨終への階段だと思わなくてはならない」』

 

【ちくま学芸文庫 一言放談 小西甚一先生校注P92】

 

ありがとうございました。