鉛筆がみあたらない。
ストックをしておいたつもりだった。
だが、それも切れていた。
夜だったため、文具店は閉まっている。
(ダメもとで行ってみよう)
近頃は鉛筆を使う人は少なくなったかもしれない。
小学生でもタブレットパソコンで授業をしているご時世だ。
だから置いていないかもしれない。
そう考えつつ、コンビニに向かった。
(よかった)
HBと2Bが並んでいた。
(今でも使う人はいるんだな)
思いをめぐらせながら帰り道を進んだ。
画家、大工、音楽家は欠かせないであろう。
後は誰だろうか。
私は寺に勤めている。
坊主である。
坊主も案外鉛筆を使う。
たとえば、今回は卒塔婆を書くために必要だった。
卒塔婆の書き方は人によって違うこともある。
私の場合は、初めに鉛筆を使う。
卒塔婆は、複数本並べて供養することが多い。
だから、字の大きさを揃えたい。
そこで、大きさが同じになるよう、初めに小さくしるしをつけるのだ。
この際、シャープペンだと具合がわるい。
芯が木に引っかかってしまうので、しるしがつけにくい。
経本に書き込みをするときにも、鉛筆を使う。
経本には唱え方が書かれている。
音程のめぐりが記されているのだ。
漢字の横に「-」や「v」などとある。
名称は、「目安博士(めやすばかせ)」である。
五線譜とは趣旨がちがう。
唱え方の「イメージ」が表わされている格好だ。
視覚での理解にとても勝れている。
一方で困ることもある。
平仮名の「ひ」のような目安博士がある。
これをみると、基音から音程を下げて、再び基音に戻るように想像される。
実際にそのように唱えることもある。
だが、基音から音を上げて、再び基音に戻すように唱える箇所もある。
こういった場合、「ここでは音を上げる」などと経本に記録しておかなければならない。
記録は、先生のお唱えをききながら行う。
従って急いでいる。
そのため、シャープペンだと経本に芯をひっかけてしまうこともある。
下手をすると紙が破けてしまう。
やはり鉛筆がいい。
他にも鉛筆が活躍する場面がいくつかある。
(だったらなんで……)
今後は、準備をおこたらないように気をつけよう。
お釈迦様のお言葉です。
『古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引する者(妄執)にとらわれてはならない』
【岩波文庫 ブッダのことば 中村元先生訳P204】
ありがとうございました。