鉛筆 | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

鉛筆がみあたらない。

 

ストックをしておいたつもりだった。

 

だが、それも切れていた。

 

夜だったため、文具店は閉まっている。

 

(ダメもとで行ってみよう)

 

近頃は鉛筆を使う人は少なくなったかもしれない。

 

小学生でもタブレットパソコンで授業をしているご時世だ。

 

だから置いていないかもしれない。

 

そう考えつつ、コンビニに向かった。

 

(よかった)

 

HBと2Bが並んでいた。

 

(今でも使う人はいるんだな)

 

思いをめぐらせながら帰り道を進んだ。

 

画家、大工、音楽家は欠かせないであろう。

 

後は誰だろうか。

 

私は寺に勤めている。

 

坊主である。

 

坊主も案外鉛筆を使う。

 

たとえば、今回は卒塔婆を書くために必要だった。

 

卒塔婆の書き方は人によって違うこともある。

 

私の場合は、初めに鉛筆を使う。

 

卒塔婆は、複数本並べて供養することが多い。

 

だから、字の大きさを揃えたい。

 

そこで、大きさが同じになるよう、初めに小さくしるしをつけるのだ。

 

この際、シャープペンだと具合がわるい。

 

芯が木に引っかかってしまうので、しるしがつけにくい。

 

経本に書き込みをするときにも、鉛筆を使う。

 

経本には唱え方が書かれている。

 

音程のめぐりが記されているのだ。

 

漢字の横に「-」や「v」などとある。

 

名称は、「目安博士(めやすばかせ)」である。

 

五線譜とは趣旨がちがう。

 

唱え方の「イメージ」が表わされている格好だ。

 

視覚での理解にとても勝れている。

 

一方で困ることもある。

 

平仮名の「ひ」のような目安博士がある。

 

これをみると、基音から音程を下げて、再び基音に戻るように想像される。

 

実際にそのように唱えることもある。

 

だが、基音から音を上げて、再び基音に戻すように唱える箇所もある。

 

こういった場合、「ここでは音を上げる」などと経本に記録しておかなければならない。

 

記録は、先生のお唱えをききながら行う。

 

従って急いでいる。

 

そのため、シャープペンだと経本に芯をひっかけてしまうこともある。

 

下手をすると紙が破けてしまう。

 

やはり鉛筆がいい。

 

他にも鉛筆が活躍する場面がいくつかある。

 

(だったらなんで……)

 

今後は、準備をおこたらないように気をつけよう。

 

 

お釈迦様のお言葉です。

 

『古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引する者(妄執)にとらわれてはならない』

 

【岩波文庫 ブッダのことば 中村元先生訳P204】

 

ありがとうございました。