95才のご婦人からお手紙をいただいた。
やや茶色がかった便箋にしたためてあった。
自筆の文である。
温もりがある。
文字の形、大きさからその方の雰囲気が感じられてくる。
人を判別するのに筆跡鑑定なる手法があるようだ。
それぞれに書く文字がちがうからであろう。
世間では個性が大切だと声高に述べる。
直筆の文字は科学も認めた個性のようだ。
現代世間では、その点、電子メールやワープロが使われる。
世間が大切にしているのは本当に個性なのだろうか。
ご婦人は信心深い方である。
年末、春秋彼岸、お盆には必ず墓参にいらしていた。
「いつもありがとうございます」
毎回、落ち着いた静かな声でご挨拶くださった。
(墓地の掃除くらいしか出来ませんで……)
まったく恐縮してしまう。
墓石の掃除は、毎回、丁寧になさっていた。
30分ほど時間をかけていた。
綺麗に仕上がっていた。
真面目なお方である。
お手紙には、腰を痛めてしまった旨が記されていた。
「今のところ家の近所にしか行かれません」
痛み止めやコルセットにて対処なさっている。
しかし、ご高齢である。
移動は難しいことであろう。
「お寺に伺えなくて申し訳ございません」
お墓が気にかかっておられるに違いない。
ほんとに真摯な方なのである。
三つ年上のご主人は介護施設にいらっしゃる。
怪我をする前、ご婦人は施設に通っておられた。
「主人が心配です」
怪我で行かれない日が続いている。
ご主人を案じておられる様子が述べられてあった。
そんな実直なご婦人だが、常に前向きなわけではないようだ。
積極的に行動なさるばかりでもない。
「つくづく生きることは大変だと感じております」
手紙の後半にはそう記されていた。
長く世の中を渡ってこられた御長老のお言葉である。
お釈迦さまの御教えとも重なっている。
(冷静に世間を観なければならない)
芋掘り坊主にはもったいないお手紙だった。
お釈迦様のお言葉です。
『内的にでも外的にでも、いかなることがらをも知りぬけ。しかしそれによって慢心を起こしてはならない。それが安らいであるとは真理に達した人々は説かないからである。これ(慢心)によって「自分は勝れている」と思ってはならない。「自分は劣っている」とか、また「自分は等しい」とか思ってはならない。いろいろの質問を受けても、自己を妄想せずにおれ。修行者は心のうちが平安となれ。外に静穏を求めてはならない。内的に平安となった人には取り上げられるものは存在しない。どうして捨てられるものがあろうか』
【岩波文庫 ブッダのことば 中村元先生訳P200】
ありがとうございました。