山形県山形市の山寺・立石寺を参詣した。
貞観二年(860年)に第三代天台座主・慈覚大師円仁上人が創建された。
山形市と仙台市の間には奥羽山脈がある。
立石寺はその山中に位置している。
伽藍(がらん)は麓から山頂へと建並んでいる。
なかでも特に目を引くのは五大堂である。
「よくぞこのようなところに」
山上の岩塊の上に建っているのだから驚きだ。
早速、登山口から参道に入る。
初めに「根本中堂」をお参りする。
比叡山延暦寺と同一の「不滅の法灯」が灯されている。
法統の尊さを実感する。
続いて山門へと向かう。
ここからが本格的な山道の石段となる。
歩みはじめて間もなく「姥堂(うばどう)」がみえた。
亡者の着物をはぎとる奪衣婆(だつえば)が祀られている。
姥堂から上は浄土となり、下は娑婆なのであろう。
先を行く。
「せみ塚」についた。
『閑さや岩にしみ入蝉の声』
松尾芭蕉の名句である。
芭蕉は立石寺にてこの句を詠んだ。
「おそらくこの辺りのことを句にしたのであろう」
後に弟子たちがそのようにみたて、「せみ塚」となった。
さらに上へと登る。
仁王門をくぐる。
これまでの道は木々に覆われていた。
当日は、小雨混じりの空模様だった。
梅雨時期なので仕方がない。
ただし、その分、岩塔婆や石碑が苔をまとうこととなる。
霊場の趣が一層感じられていた。
この上からは木立が少なくなる。
景色がひらけてきた。
「性相院」「金乗院」「中性院」を過ぎ山頂の「奥の院」となる。
一千十五段の階段を上がってきたのだ。
全身に汗が流れる。
その後、いよいよ五大堂へと進む。
「うわぁ~」
思わず声がでる。
JR仙山線の列車が走っている。
仙台と山形を結ぶ「二口街道」もみえる。
まことに美しい風景である。
『一切衆生 悉有仏性 如来常住 無有変易』
円仁上人は仏法流布のために山形を訪れた。
その際、立石のほとりで風の音にこの文の声をきいた。
そこで、ここに寺を開いたそうだ。
平安時代、二口街道は賑わいをみせていたのであろうか。
活気があふれ、順調に事が運ぶと人は慢心してしまう。
如来は変易しないが、人は変るものである。
「そのことを忘れないように」
円仁上人はそれを伝えるために寺をお開きになったのではないか。
生意気にもそんな解釈が私には腑に落ちる。
「大日本国法華経験記・巻上第四慈覚大師」に以下の記載があります。
『承和二年にもて選ばれて唐に入り、天台山に往き五台山に登りき。多年経廻し、遍く名徳に謁して、顕教密教を受学せり。大唐の人言はく、我が国の仏法は、和尚尽くに学して日本に移し伝ふといふ。承和十四年に朝に帰りぬ。弥陀念仏、法花懺法、灌頂、舎利会は、大師の伝ふるところなり。およそ仏法の東流せる、半はこれ大師の伝ふるところなり』
ありがとうございました。