雨の日が続いた。
まだ梅雨ではないはずだが……。
いずれにしても、この時期、雨が降ると墓地の草が急に生える。
(うわあ~)
雨がやんだ後、墓所を見まわすとため息がでる。
勤めているのは小さな町寺である。
しかし、一人で掃除をするとなれば相応に広い。
情けないことに、心がひるんでしまう。
(こちらの方が不利じゃんか)
草を取りながら考える。
むしる方は順次行うしかない。
ところが、生えてくる方は同時多発である。
(はあぁ~)
なんと下らない思考なのだろうか……。
自然が相手なのだから仕方がないはずだ。
自らの不甲斐なさにもため息がでる。
さて、草を引いているとご年配の女性が2人、境内にやって来た。
「こんなところにお墓があるのね」
声をかけられた。
お墓参りにこられた様子ではない。
また質問内容からすれば、ご近所さまでもないはずだ。
確かにお寺の三方は100m程の高層ビルが建っている。
残りの一方は、首都高速環状線が走っている。
現代では、まさに「こんなところ」であろう。
「ええ」
それとなくお応えした。
「美術館にいらっしゃるのですか?」
お寺の脇道を通るのである。
しかも着物を召されていた。
だから、裏手にあるミュージアムに向かうものと予測した。
「いや、音楽鑑賞に来たんです」
なるほど脇手のコンサートホールだったか。
「暑いのにご苦労さま」
お二人は山門を出る前に労って下さった。
「おきをつけて」
こちらもお返しする。
作業開始から2時間後、休憩を挟むことにした。
墓地のすみにて好物の甘い缶コーヒーを飲む。
眼線があがる。
すると、羽田空港に着陸する飛行機がみえた。
2機が平行に並んで飛んでいた。
(すげぇ~)
都会はとてもよく制御されている。
人が望むようにデザインされている。
一方、寺は一掃除二勤行である。
雨がふれば土はぬかるむ。
草木は勝手に生えてくる。
蚊、ブヨ、なめくじ、かえる、いもり、ゲジゲジなどの生き物もいる。
墓地もある。
真反対ではない。
しかし、人による制御からは離れているものもそれなりにある。
(都会とは少し違う)
ビル群の中の寺にもそのような存在意義があるかもしれない。
浄土宗第二祖・鎮西上人のお言葉です。
『八万からの仏教哲理は、結局、死の一字を注釈したものだ。だから死ということを忘れなければ、八万あまりの仏教哲理を、しぜんに理解している結果になる』
【ちくま学芸文庫 一言芳談 小西甚一先生校注 P83】
ありがとうございました。