近頃、様々な会議に出席する。
何々代表委員会、何々連合会、何々協議会、何々運営委員会、などである。
坊さんの仕事でも話し合いは結構ある。
社交能力が低い私にはそれなりに厳しい。
年齢から来る持ち回りの役割だ。
なげいても始まらない。
しかし、……。
「昨日はどうも」
前日の会議でも顔を合わせていた方との挨拶である。
各会議の構成員がかぶっていることも多い。
「いっそうのこと皆集めて一度で全ての会議を……」
だから、時にそう思ってしまうこともある。
「一つ会を増やしたら、一つ会を減らすべきだ」
ある会議の休憩時間に憤っているお坊さんもいた。
同じように考えている人もいるようである。
もっとも、私などはただの構成員である。
仕切っている方々には大変なご苦労があるはずだ。
無暗に愚痴を述べては失礼である。
人との関わりが増えてくると、比例して、自然を感じる場所に行きたくなってくる。
お気に入りの場所は、羽田空港付近である。
海にのぞんでいる公園がいくつかある。
公園は人工かもしれない。
でも、海は自然である。
人気のない公園の水際を歩く。
潮風を身体にうける。
(魚が泳いでいるかな)
時々海中を覗いてみる。
(こんにちは)
日向ぼっこをしている猫ちゃんに話しかけることもある。
だんだんと狭くなっていた視野が広がってくる。
街中に入れば再び日常が待っている。
それでも、しばし開放感を楽しむ。
先日も夕暮れに海辺の公園へ行った。
すると、背広を着た男性が、一人、海を眺めていた。
私と同じ50才くらいであろう。
公園の周りは倉庫や工場が建並んでいる。
電車の駅までは3㎞以上ある。
その公園ではあまり見かけることのない格好である。
私は水際をぐるりと20分くらいかけて歩く。
戻ってくると、背広の方はやはり海を眺めていた。
「もしかすると、同じような心境なのかな」
社会で活躍されている方々は、人との関わりが密になるのだと思う。
一掃除、二勤行の坊主とは比べものにならない。
「あの方も頑張っている」
本当のところはもちろんわからない。
しかし、勝手な想像をめぐらせて、力をいただいた次第である。
お釈迦さまの御弟子さまのお言葉です。
『清く澄んだ水あり、ひろびろとした岩盤あり、黒面の猿と鹿がいて、水と苔で覆われている岩山は、わたしを楽しませてくれる』
【岩波文庫 仏弟子の告白 中村元先生訳P198】
ありがとうございました。