話し合い | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

近頃、様々な会議に出席する。

 

何々代表委員会、何々連合会、何々協議会、何々運営委員会、などである。

 

坊さんの仕事でも話し合いは結構ある。

 

社交能力が低い私にはそれなりに厳しい。

 

年齢から来る持ち回りの役割だ。

 

なげいても始まらない。

 

しかし、……。

 

「昨日はどうも」

 

前日の会議でも顔を合わせていた方との挨拶である。

 

各会議の構成員がかぶっていることも多い。

 

「いっそうのこと皆集めて一度で全ての会議を……」

 

だから、時にそう思ってしまうこともある。

 

「一つ会を増やしたら、一つ会を減らすべきだ」

 

ある会議の休憩時間に憤っているお坊さんもいた。

 

同じように考えている人もいるようである。

 

もっとも、私などはただの構成員である。

 

仕切っている方々には大変なご苦労があるはずだ。

 

無暗に愚痴を述べては失礼である。

 

人との関わりが増えてくると、比例して、自然を感じる場所に行きたくなってくる。

 

お気に入りの場所は、羽田空港付近である。

 

海にのぞんでいる公園がいくつかある。

 

公園は人工かもしれない。

 

でも、海は自然である。

 

人気のない公園の水際を歩く。

 

潮風を身体にうける。

 

(魚が泳いでいるかな)

 

時々海中を覗いてみる。

 

(こんにちは)

 

日向ぼっこをしている猫ちゃんに話しかけることもある。

 

だんだんと狭くなっていた視野が広がってくる。

 

街中に入れば再び日常が待っている。

 

それでも、しばし開放感を楽しむ。

 

先日も夕暮れに海辺の公園へ行った。

 

すると、背広を着た男性が、一人、海を眺めていた。

 

私と同じ50才くらいであろう。

 

公園の周りは倉庫や工場が建並んでいる。

 

電車の駅までは3㎞以上ある。

 

その公園ではあまり見かけることのない格好である。

 

私は水際をぐるりと20分くらいかけて歩く。

 

戻ってくると、背広の方はやはり海を眺めていた。

 

「もしかすると、同じような心境なのかな」

 

社会で活躍されている方々は、人との関わりが密になるのだと思う。

 

一掃除、二勤行の坊主とは比べものにならない。

 

「あの方も頑張っている」

 

本当のところはもちろんわからない。

 

しかし、勝手な想像をめぐらせて、力をいただいた次第である。

 

 

お釈迦さまの御弟子さまのお言葉です。

 

『清く澄んだ水あり、ひろびろとした岩盤あり、黒面の猿と鹿がいて、水と苔で覆われている岩山は、わたしを楽しませてくれる』

【岩波文庫 仏弟子の告白 中村元先生訳P198】

 

ありがとうございました。