憂鬱な気分になる日は多い。
たとえば、五日前は鳥の糞が右肩に落ちてきた。
街路樹もなかった。
電線もなかった。
飛んでいる鳥にやられたのだ。
三日前、コンビニでドーナツの菓子パンを買った。
少しかたかったので袋を強く引っ張った。
勢いよく開いたものだから、ドーナツが半分地面に落ちた。
一昨日、牛乳と玉ねぎを買いにスーパーへ向かった。
いつもと反対方面のお店に行ってみることにした。
店の前に着くと、白い紙がすべてのガラス全面にはられていた。
閉店したらしい。
あわてていつものスーパーへ急ぐ。
「本日、定休日」
シャッターに札がかかっていた。
悲しくなったので、家に帰って撮りためてあったサスペンスドラマをみることにした。
ますます気持ちが沈んできてしまった。
仕方なく机に座り、外を眺める。
ラジオをつけていたが、内容が入ってこない。
かわりに、昔の嫌な思い出がよみがえってくる。
初めて鳥に糞をあてられたのは、高校のときだ。
友人達と遊びに行った遊園地でやられた。
左の二の腕だった。
服に糞がついたまま一日を過ごすはめになった。
友達には笑われるし、食事をする気にもなれないし、全く楽しくなかった。
二度目は修行中だ。
早朝、皆で一列に並び、外からお堂に入いろうとするときだった。
黒い衣に白い糞はあまりに目立つ。
しかも、衣では洗えないではないか。
テニスの大切な大会にでたときは、シードからはずされた。
「僕の方が順位は上のはずですが」
本部の人に確認した。
第八シード選手のランキングが私より下だったのである。
「間違えました。でももう試合が始まってしまったので訂正できません」
何度も交渉したが再組み合わせをしてもらえなかった。
おかげで初戦は第二シードと戦うこととなった。
あえなく一回戦で敗退した。
「決起集会をするからお前も必ずこいよ」
大法要を勤めるにあたり、読経役、奏楽役で前の晩に食事会が開かれたのだ。
「では、明日への意気込みを」
ひとりずつ、一言述べることになった。
私のばんになった。
「すみません。私はなにも役をいただいていないのですが……」
瞬時に辺りの空気が冷たくなった。
「あっ、ごめん。当てるのをわすれていた」
いいんです。
なれています。
居るんだか居ないんだかわからないやつなのです。
「いかん」
このまま机に座っていると、気分が沈んでいくばかりである。
こんなときは、ノートに小さな願いをたくさん書き出す。
そして仏さまにお祈りをする。
私の業は深い。
願いはかなわないものが多いであろう。
でも、少しだけ気持ちが前向きになれるのである。
法然上人の御教えに、以下のお言葉がございます。
『(ある人)「願いごとが叶わない時、み仏を恨むのはいかがでしょう」。(法然上人)「お答えします。恨んではなりません。ご縁によって、信心の有る無しによってみ仏のご利益はあるものです。今生のことも、後生のことも、み仏におたのみするよりすぐれたことはありません」』
【法然上人のお言葉3 浄土宗総合研究所編p372】
ありがとうございました。