「般若心経の経本をいだだけませんでしょうか」
ご高齢のご婦人から相談があった。
普段の生活は、家族皆が穏やかに暮らしていたそうだ。
ただ、ご自身は、長年、夢に現われる魑魅魍魎に悩まされていた。
うなされることもあったそうである。
「なんだか気持ちがわるかったんですよ」
日常が平穏であっても、確かによい感覚はしないであろう。
さて、近頃往生されたご主人は、毎朝仏壇の前で、念仏と般若心経を唱えていた。
ご婦人は一緒に手を合わせていたものの、お唱えはしていなかった。
「私も唱えてみよう」
そのことに気がついたご婦人は、御先祖の供養を継続することも含めお経を唱え始めた。
すると、その影響はすぐにあらわれた。
翌日以来、それまで頻繁に出てきた魑魅魍魎が全く出てこなくなった。
ご本人の日頃の善行と諸仏諸菩薩さまのお救いが合わさったのであろう。
尊いことである。
既に般若心経は暗記している。
しかし、ご主人が毎日開いていた経本を手に一生懸命読経をした。
だから、折り目が傷んでしまっている。
そこで、新たな経本を準備するべく相談下さったそうだ。
「もちろんです」
こんな愚僧でも経本のご用意くらいお易いご用である。
ますます、ご婦人に御利益が降り注ぐことを願う。
確かに仲のよさそうなご夫婦だった。
「主人は大きな声を出すことはありませんでした」
奥さまが思い出すように話をしてくれた。
穏やかで優しい方だったようである。
ご主人は鉄道が好きだったそうだ。
だから、定年以後は二人で仲良く日本国内を列車で旅行した。
北海道新幹線で函館の夜景を観に行った。
九州新幹線と「指宿のたまて箱」を乗り継いで指宿の宿に行った。
断崖絶壁を進む黒部峡谷鉄道も乗った。
とても楽しかった。
ご主人が今生の命を終えられたのは、一年前だった。
突然、病がみつかったそうである。
「いきなりでしたから、急に寂しくなりました」
奥さまは、ご供養のために仏壇を新たにし、お位牌を設えた。
毎朝夕は、欠かさず遺影に語りかけた。
仏さまと、ご主人に念仏を称えることも忘れなかった。
そうして一月ほどたったある夜、夢の中にご主人が現われた。
山にかこまれた綺麗な海辺近くのお堂に座っていた。
「極楽にいるから安心してね」
笑顔でご主人が語ってくれたそうである。
「きっと私が心配しているとおもったのでしょうね」
奥さまは涙を流しておられた。
お念仏のご功徳によりご主人は極楽浄土に往生された。
そのことを身をもって確信された。
「だから、私はお念仏の力を信じています」
続けて力強くおっしゃられた。
まことに尊いことである。
阿弥陀経に下記の教えがございます。
『舎利弗よ。男であれ女であれ善良な人々が、もしこれら諸仏が称讃している阿弥陀仏の名とこの経の呼び名を聞くならば、そうした善良な人々は男であれ女であれ、誰もが共々にあらゆる仏からいつも気にかけてもらい護られ、みなこの上ない完全なる覚りへの道を踏み外すことがなくなるのだ』
【現代語訳 浄土三部経 P253浄土宗総合研究所編訳】
ありがとうございました。