納骨法要を勤めてから数日後の話である。
「ちょっとうかがってもいいですか」。
お施主さまから電話がかかってきた。
話の内容は要約すると、以下のようになる。
先日、お母さまの遺骨を納めた。
その際、「カロート」、つまりお墓の納骨室をみせてもらった。
そこには、五年前に往生されたお父さまの骨壺だけが納まっていた。
それ以外の遺骨は埋葬されていない。
ところが、墓碑をみるとお父さまのほかに、三名の戒名が彫られている。
以前に、「三名は血縁者である」とだけお父さまからきいていた。
ただ、それ以上のことはきいていない。
記載されているのに、三名の遺骨が納まっていないことが気にかかる。
親戚にきいてみたがわからなかった。
そこで、お寺に連絡をした。
さて、相談を受けた私も「なるほど」と疑問に感じた。
ただ、三名がお亡くなりになられたのは大分前のことのようだ。
したがって、すぐには事情がわからない。
そこで、「では、私も墓碑と過去帳を調べてみます」と伝え、受話器を置いた。
まずは墓碑から確認だ。
確かに、ご両親以外に三名の戒名が刻まれていた。
すぐ下をみてみる。
名前と命日も彫られていた。
「よかった。これならすぐわかる」。
安心した。
昔の過去帳は、時系列に書かれている。
だから、命日がわかれば容易に調べることができるのだ。
急いで開く。
以前の住職が戒名を授けたことがきちんと記録されていた。
このことは、葬儀式が勤修されていたことの証でもある。
それならば、なぜ遺骨が埋葬されていないのか。
過去帳を再び見てみる。
「命日・昭和二十年三月十日」。
東京大空襲の日であった。
「もしかすると」と直感した。
本当のところはわからない。
ただ、空襲の日である。
行方が判明できなかった可能性が考えられる。
翌日、調べた結果と私の考えを伝えた。
「本当の理由はわからないのですね」。
お施主さんは、やや低い声だった。
さらに、「遺骨がなくても葬儀は勤まるのですか。あの方たちは、極楽に行かれているのでしょうか」と、心配そうに質問をされた。
大変重要な疑念である。
浄土宗の僧侶は、葬儀を勤める際、阿弥陀如来さまに手を合わせている。
端的に言えば「故人様の識を極楽浄土へ導いてくださいませ」と、阿弥陀如来さまにお願いをしているのである。
阿弥陀如来さまは、たとえ地獄にいる者であっても救ってくださる仏さまだ。
「識」は魂のようなものである。
儀式の勤め方は、先徳より諸々教えてもらっている。
さまざまな事情に合わせて執り行えるように指導を受けている。
だから、葬儀を丁寧にお勤めしたならば、阿弥陀如来さまは確実に救ってくださるのである。
「御遺骨がなくても御葬儀はきちんとお勤めできます。そして、故人様は間違いなく極楽に往生されておりますよ」。
はっきりとお答えした。
「そうですか。安心致しました」。
少しだけお施主さまの声が明るくなったように感じられた。
法然上人の御教えに、以下の御言葉があります。
『先立たれた方のために御念仏をご廻向すれば、阿弥陀さまは光を放って、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちて苦しみにさいなまれている人々を照らして下さるのです。そして、その苦しみは止み、そこでの命が尽きた後に三悪道から離れて極楽へ往生し、覚りをひらくことができるのです』
【法然上人のご法語1 浄土宗総合研究所編P183】
ありがとうございました