葬送について調べていたら思わぬ記載をみつけた。
コレラで亡くなった方の火葬について記されていたのだ。
明治13年の法令全書である。
〈第五十四條 死體ハ醫師確認ノ後速ニ火葬セシムベシ火葬場ナキ地方ハ人家ニ離レタル所ニシテ地質□疎ナラサルノ地ヲ擇ヒ簡易ノ火葬場ヲ設ケテ之ヲ燒クヘシ ¹〉
明治時代、東京では通常、通夜は自宅で勤めていた²。
翌日は、まず自宅から式場となる寺院や斎場に葬列を組んで向かう。
その後、葬儀式を勤めた。
当時の方々は、この葬列をとくに大切にしていた。
提灯、生花、造花、放鳥、迎え僧、香炉持ち、位牌持ち、柩の順にならぶ。
葬列には遺族だけではなく地域の人々も加わった。
葬儀式後には火葬場へ向かう。
ここでは、親族の男性と輿を担ぐ人足だけが同行した。
火葬場では寺院から出る鑑札を預けた。
火葬許可書の代わりだ。
このような格好が全てではないはずである。
しかし、明治時代の葬送は概ね現代よりも大規模に勤められていたようだ。
そうであれば、コレラ流行下の法令は、当時の世情がうかがえる。
医師の診断の後、すみやかに荼毘に付すのである。
かなり危機が迫っていたのであろう。
おそらく、コレラ以外で亡くなられた方の葬儀も縮小されていたことであろう。
現在の状況から十分に推測できる。
現状の葬送は、全てが縮小されている。
一日で葬儀を勤めることもある。
荼毘に付した後、改めて御家族だけで葬儀を勤めることもある。
火葬炉の前での回向のみも致し方ない。
「遠くの方々に来ていただくことも難しいので」
「本当は多くのかたに送っていただきたいのですけれども」
「流行の状況を鑑みまして」
喪主さまはそのようにおっしゃる。
苦慮した後に決断されたのだとわかる。
「故人は極楽へ向かえますでしょうか」
そんな質問も少なくない。
縮小された儀式では心配になるのも無理はない。
「大丈夫ですよ。お任せください」
我々は、諸先輩方から様々な状況下での葬送の修法を教わっている。
だから、故人さまの往生浄土はゆるがない。
ただ、葬送には家族や親族の思いがたくさんこめられている。
大切な故人への気持ちがのせられている。
常ならないのがこの世の習ではある。
しかし、現状の葬送は厳しい面が多い。
一刻もはやく事態が好転することを願わずにはいられない。
法然上人の御教えに、以下の御言葉があります。
『先立たれた方のために御念仏をご廻向すれば、阿弥陀さまは光を放って、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちて苦しみにさいなまれている人々を照らして下さるのです。そして、その苦しみは止み、そこでの命が尽きた後に三悪道から離れて極楽へ往生し、覚りをひらくことができるのです』
【法然上人のご法語1 浄土宗総合研究所編P183】
ありがとうございました。
1・法令全書明治13年P903
2・吉川弘文館 日本葬制史 勝田至先生編P253-257