石見の琴ヶ浜 | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

仕事で石見地方に行った。

 

羽田から出雲まで飛行機に乗る。

 

飛行機は、怖い。

 

出雲市からは、山陰本線の普通列車に乗り目的地に向かった。

 

ディーゼル列車は落ち着ける。

 

車窓から見える日本海は、とても綺麗だった。

 

美しい景色を眺めていると、気持ちがますます穏やかになっていく。

 

一時間くらい経つと、列車が馬路駅に着いた。

 

車内からは「琴ヶ浜」みえた。

 

歩くと砂が「キュッキュッ」と鳴るので有名な海岸だ。

 

「そんなわけないじゃん」

 

以前、そう思って確かめてみたことがある。

 

はっきりと音がしてとても驚いたことを思い出した。

 

そういえば、「琴ヶ浜」にまつわる物語も読んだ覚えがある。

 

それは、源平の戦の時代の話だった。

 

十八歳の「琴姫」が、目の見えない父親と二人で穏やかに都暮らしていた。

 

父親は琴の名人であり、琴姫は秘曲を教えてもらっていた。

 

ところが、ある日突然、源平の戦の影響で都を離れざるをえなくなった。

 

しかも、逃げる際、辺りが騒然としており二人はお互いを見失ってしまった。

 

「琴姫」は混乱の中、琴と共に船に乗る。

 

舟は、数日間海を漂った。

 

そして、激しい風雨に遭い転覆した。

 

海に投げ出された「琴姫」は、琴をしっかりと抱いたまま命を落とした。

 

しばらくすると、「琴姫」の亡骸が石見地方の浜に流され着いた。

 

発見した村人たちは、浜がみえる丘に丁寧に埋葬してあげた。

 

翌日。

 

誰もいない浜から琴の音色がしてきた。

 

不思議に思い皆で浜にいく。

 

「砂が鳴る、砂が鳴る」

 

一人が浜を踏みしめながらつぶやいた。

 

皆で歩くと、確かに鳴った。

 

しかも、琴の音色がするではないか。

 

「きっと、琴を抱いていたあの子が弾いているのだ」

 

皆がそう感じた。

 

それからまもなく、杖をついた老人が浜にやってきた。

 

浜が鳴る話をききつけて、やってきたのだ。

 

老人は琴姫の父親である。

 

歩いてみた。

 

「琴姫の弾く音だ」

 

父親は叫んだ。

 

音色はあの秘曲だった。

 

二人で琴を弾きながら平和に暮らしていた日々が思い出される。

 

父親は琴姫に会いたくなったのであろう。

 

「琴姫よ、琴姫よ」

 

静かに水際に行き、一歩一歩海中に進すんだ。

 

そして、ついには姿が見えなくなった。

 

これが「琴ヶ浜」の由来だと記されていた。

 

戦の時代とはいえ、とても悲しい話である。

 

「琴ヶ浜」の砂は、白くてたいへん綺麗な砂だ。

 

琴姫さまと父上さまの心が美しいからであろう。

 

「平和な日本にいることを感謝しなければいけない」

 

日本海の景色が急に哀愁を帯び始めた。

 

 

無量寿経に以下の御教えがございます。

 

『〔彼らは〕後の世のことなど少しも頭になく、それぞれが〔その場限りの〕楽しみを求めようとするのだ。欲望に目が眩んでは理性を失い、覚りへの道には近寄ろうともしない。怒り心頭に発して我を失い、〔あるいは〕財欲と色欲に狂って貪る』

 

【現代語訳 浄土三部経 浄土宗総合研究所編p134】

 

*参考文献=「未來社 石見の民話第一集」

 

ありがとうございました。


山陰の浜
写真は、「琴ヶ浜」の隣町の美しい浜です。
「琴ヶ浜」の写真を撮りそびれてしまいました。