「少し変なことがあったのよ」
法要の後席で、初老の女性が話かけてくれた。
とても天気のよい春の日の休日のことだったそうだ。
「ピンポン」
昼下がり、居間で団欒していると呼び鈴がなった。
「誰だろか」
孫と一緒に玄関に行く。
ところが……。
扉を開けても誰もいない。
念の為、外に出て辺りを見まわす。
しかし、人の姿はない。
「いたずらみたい」
孫たちは憤慨しながら戻っていく。
一方、女性には苛立ちはなかった。
「そうではなく、フワフワした感覚があったのよ」
呼び鈴が鳴ったことじたいに、何か違和感を覚えたそうだ。
その後、家族皆はテレビをみて笑ったり、お菓子を食べてくつろいだりしていた。
「でも、私は心ここにあらずでね」
そこで、一人、自分の部屋に戻ることにした。
「へんだな。嫌な感じだな」
本を読んでみても、編み物をしてみても、全く気が乗らない。
ソワソワ、ソワソワする。
そうして夕方。
今度は電話が鳴った。
「あっ」
その瞬間、胸が締め付けられた。
きっと誰かが亡くなったに違いない。
なぜだか、そう直感したそうである。
「お兄さまが亡くなられたそうです」
案の上、お嫁さんが電話を持って伝えにきた。
現代では、科学が色々なことを分析し、多くの現象を説明してくれる。
有り難いことである。
しかし、時にはどうしても理屈の通らないこともあるようだ。
「あの呼び鈴は、兄の魂が鳴らしたんですよ。知らせに来てくれたに違いないんです」
女性は最後にしみじみと語った。
慶慈保胤さまの『往生伝』に、以下のお話がございます。
『尼某甲は、光孝天皇の孫なり。少き年に人に適きて、三子ありき。年を連ねて亡せたり。幾もなくして、その夫もまた亡せたり。寡婦として世の無常を観じ、出家して尼となりぬ。日に再食せず、年数周に垂むとして、忽ちに腰病を得て、起居便からず。医の曰く、身疲労せり。肉食にあらざれば、これ療すべからずといへり。尼身命を愛することなく、弥弥陀を念じたり。その疾み苦ぶところ自然に平復せり。尼自ら性柔和にして、慈悲を心となす。蚊虻身をくらへど敢へてこれを駈らず。春秋五十有余年、忽ちに小病あり。空中に音楽あり、隣里驚き怪ぶ。尼曰く、仏、已に相迎へたまふ。吾今去らむと欲すといへり。言訖りて気絶えぬ』
【岩波書店 往生伝・法華験記 大曾根章介先生・井上光貞先生編著P35】
*拙僧訳〔光孝天皇の孫に、尼僧さんがいました。若い時にお嫁にいき、三人の子供が産まれました。しかし、続けて皆亡くなってしまいました。また、夫も亡くなってしまいました。ですから、世の無常を観じ、出家しました。朝の食事以外は、摂りませんでした。年齢を重ねてくると、腰が痛くなり、動作が思うようにならなくなってきました。お医者さまの話では、疲れがたまっているとのこと。そして、お肉も食べなければ、治らないとも。しかし、尼僧さんは、自分の身体にはかまわず、増々念仏に専念してゆきました。ところが、痛みはいつの間にか無くなっていました。尼僧さんは、穏やかで、心優しい人でした。虻や蚊に刺されても、叩いて潰すことはしませんでした。50歳を過ぎたころ、また病に罹りました。すると、空に音楽が流れ、周辺の町の人々が「なんだろう」と怪しみました。尼僧さんは、「仏さまが迎えにきたのです。私は今往生いたします」と答え、大きく息をして、臨終を迎えました〕
ありがとうございました。