呼び鈴 | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

「少し変なことがあったのよ」

 

法要の後席で、初老の女性が話かけてくれた。

 

とても天気のよい春の日の休日のことだったそうだ。
 

「ピンポン」

 

昼下がり、居間で団欒していると呼び鈴がなった。
 

「誰だろか」

 

孫と一緒に玄関に行く。

 

ところが……。

 

扉を開けても誰もいない。

 

念の為、外に出て辺りを見まわす。

 

しかし、人の姿はない。
 

「いたずらみたい」
 

孫たちは憤慨しながら戻っていく。
 

一方、女性には苛立ちはなかった。

 

「そうではなく、フワフワした感覚があったのよ」

 

呼び鈴が鳴ったことじたいに、何か違和感を覚えたそうだ。

 

その後、家族皆はテレビをみて笑ったり、お菓子を食べてくつろいだりしていた。

 

「でも、私は心ここにあらずでね」

 

そこで、一人、自分の部屋に戻ることにした。
 

「へんだな。嫌な感じだな」

 

本を読んでみても、編み物をしてみても、全く気が乗らない。

 

ソワソワ、ソワソワする。
 

そうして夕方。

 

今度は電話が鳴った。

 

「あっ」

 

その瞬間、胸が締め付けられた。

 

きっと誰かが亡くなったに違いない。

 

なぜだか、そう直感したそうである。

 

「お兄さまが亡くなられたそうです」

 

案の上、お嫁さんが電話を持って伝えにきた。

 

現代では、科学が色々なことを分析し、多くの現象を説明してくれる。

 

有り難いことである。
 

しかし、時にはどうしても理屈の通らないこともあるようだ。
 

「あの呼び鈴は、兄の魂が鳴らしたんですよ。知らせに来てくれたに違いないんです」

 

女性は最後にしみじみと語った。


 

慶慈保胤さまの『往生伝』に、以下のお話がございます。

『尼某甲は、光孝天皇の孫なり。少き年に人に適きて、三子ありき。年を連ねて亡せたり。幾もなくして、その夫もまた亡せたり。寡婦として世の無常を観じ、出家して尼となりぬ。日に再食せず、年数周に垂むとして、忽ちに腰病を得て、起居便からず。医の曰く、身疲労せり。肉食にあらざれば、これ療すべからずといへり。尼身命を愛することなく、弥弥陀を念じたり。その疾み苦ぶところ自然に平復せり。尼自ら性柔和にして、慈悲を心となす。蚊虻身をくらへど敢へてこれを駈らず。春秋五十有余年、忽ちに小病あり。空中に音楽あり、隣里驚き怪ぶ。尼曰く、仏、已に相迎へたまふ。吾今去らむと欲すといへり。言訖りて気絶えぬ』

【岩波書店 往生伝・法華験記 大曾根章介先生・井上光貞先生編著P35】

*拙僧訳〔光孝天皇の孫に、尼僧さんがいました。若い時にお嫁にいき、三人の子供が産まれました。しかし、続けて皆亡くなってしまいました。また、夫も亡くなってしまいました。ですから、世の無常を観じ、出家しました。朝の食事以外は、摂りませんでした。年齢を重ねてくると、腰が痛くなり、動作が思うようにならなくなってきました。お医者さまの話では、疲れがたまっているとのこと。そして、お肉も食べなければ、治らないとも。しかし、尼僧さんは、自分の身体にはかまわず、増々念仏に専念してゆきました。ところが、痛みはいつの間にか無くなっていました。尼僧さんは、穏やかで、心優しい人でした。虻や蚊に刺されても、叩いて潰すことはしませんでした。50歳を過ぎたころ、また病に罹りました。すると、空に音楽が流れ、周辺の町の人々が「なんだろう」と怪しみました。尼僧さんは、「仏さまが迎えにきたのです。私は今往生いたします」と答え、大きく息をして、臨終を迎えました〕

ありがとうございました。