お参りにいらした老年の女性が、つい先程の出来事をはなしてくれた。
女性は、鉄道を使ってお参り来られたそうだ。
その際、電車が数十分程遅れてしまっていた。
しかし、鉄道会社の不備等ではない。
利用客の影響による遅れだった。
「仕方がない」
女性は、ベンチに腰掛けて運転再開を待つことにした。
すると、背広姿の男性が駅員さんに詰め寄っているのが目に入ってきた。
「いつ運転再開になるんだ。大事な仕事の予定があるんだ。再開がいつになるかわからないとは、どういうことなんだ」
私はつい「気持ちはわかりますけれども、なんだかおかしな抗議ですよね」と思わず口をはさんでしまつた。
理不尽ではないか。
「駅員さんも一生懸命お仕事をされているのに、気の毒になっちゃいますよ」
女性も同じように感じておられたようだ。
仕事で急いでいたり、予定時間に遅れそうになっていたりするときに、予期せぬ事が起きれば焦る。
苛立つことも少なくない。
ただ、だからといって、誰彼構わず当たり散らすのは幼すぎる。
意味不明な理由による抗議以外にも、自己都合優先者の行動はいくつもある。
赤信号を無視して横断する歩行者、歩道を猛スピードで走る自転車、細い道でもスピードを出す車などなど。
いい大人が、個人的な都合で社会性を無視している。
自己中心性を制御できないのである。
情けない限りだ。
「自分勝手にふるまって、言葉使いや行いが粗雑で荒い人達が増えましたね。自己主張や自己尊重をはき違えているのでしょうか」
女性は、苦笑いをしながらあきれていた。
昨今は自己主張が大事だとされている。
まあ、確かに大切なことなのであろう。
ただ、だからといって「我ままを押し通す」ことが奨励されているわけではない。
中学生にだってわかることである。
この区別がつけられない人大人がいることは本当に困ったものである。
《仏説無量壽経》に、以下のような御教えがございます。
『第四番目に悪について〔説き明かそう〕。云々。父母に孝行せず、師匠や年長者を軽んじ、仲間に対する真人がなく、〔誰に対しても〕不誠実である。不遜な態度で、自分は〔正しい〕道を〔歩んでいると〕思い込んで、身勝手に威張りちらし、他人を見下して虐げる。〔しかも、そういう自分に〕気付くことができず、悪行を犯しても恥じ入ることがない。〔さらに〕自らの権勢を奮って、他人が恐れ入るようにしたがるのである。』
【現代語訳 浄土三部経 浄土宗総合研究所編p149】
ありがとうございました。