夕方に河口湖の宿についた。
翌日は、朝から湖の近くにて仕事がある。
それに供えて、前日から行くことにしたのだ。
宿は、湖畔の高台にたたずんでいた。
部屋の襖をあけると、大きな窓いっぱいに河口湖の景色が広がっていた。
湖面には日の光がキラキラと美しく輝いている。
周辺は、濃い緑の木々に囲まれて鮮やかである。
窓際の椅子に座りながら、コーヒーをいただいて一休みする。
普段は味わえない優雅な気分に浸った。
しばらくして、時計をみる。
夕食までにはまだ時間が有る。
せっかくなので外を散歩してみることにした。
念の為に、趣味の龍笛も持って行く。
宿を出ると、裏手に登り階段があった。
林に囲まれた歩道だ。
「もしかすると」と、気持ちよく笛の吹ける場所があることを期待して進む。
十分くらい歩くと、ベンチが置かれた休憩所があった。
「スーッ」と、涼しい風が吹いてくる。
林のすき間からは、河口湖がみえる。
反対側には富士山もみえた。
辺りは木々に覆われ、人は誰もいない。
早速、笛をとりだして息を吹き込む。
河口湖を眺め、富士山を仰ぎ、自然のなかで奏楽する。
またまた、優雅な気分に浸った。
さて、宿に戻り夕飯をいただいていると、食堂から夜の湖が綺麗にみえた。
夕方とは違い、湖面には月の光がキラキラと輝いている。
素敵な光景だ。
こうなると、湖へ行ってみたくなる。
肌で夜の湖を感じてみたいではないか。
でも、ただ眺めに行くだけではつまらない。
そこで、ランニングをしながら夜の空気を味わうことにした。
高台を下り、遊覧船の発着場からスタートだ。
さすがに夏なので、すぐに汗だくになる。
しかし、空気はサラリとしていて清々しい。
しばらく走ると、河口湖大橋にさしかかる。
さえぎるものがないのは、爽快だ。
遠くには湖を囲む山々が見える。
辺りは、かすかに虫の声が聴こえるだけだ。
湖には月影が映っている。
神秘的だ。
これまた、優雅な気分に浸ってしまった。
月影は、仏さまの慈悲として例えられることがある。
私もそのことを思い出しながら走る。
こういうときは、よく出来たお坊さんであれば、仏さまに感謝しているはずだ。
「優雅なひとときを提供してくださり、ありがとうございます」。
ところが、私ときたら。
気がつくと、「こんな幸せを、ずっと提供して下さい」とお願いをしていた。
どうも卑しくていけない。
こんな坊主では、河口湖大橋は渡れても、三途の橋はますます渡れない。
法然上人がお詠みななられた、和歌がございます。
『月影の 至らぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞ澄む』
【浄土宗宗歌】
(月は、どこにでも光をそそいでくれる。おじように、仏さまも御慈悲をそそいで下さる。
月の光も仏さまの御慈悲も、自分自身がそのことに気がつくことで、はじめてきちんと受け取れる)
ありがとうございました。