河口湖の月影 | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

夕方に河口湖の宿についた。

 

翌日は、朝から湖の近くにて仕事がある。

 

それに供えて、前日から行くことにしたのだ。

 

宿は、湖畔の高台にたたずんでいた。

 

部屋の襖をあけると、大きな窓いっぱいに河口湖の景色が広がっていた。

 

湖面には日の光がキラキラと美しく輝いている。

 

周辺は、濃い緑の木々に囲まれて鮮やかである。

 

窓際の椅子に座りながら、コーヒーをいただいて一休みする。

 

普段は味わえない優雅な気分に浸った。

 

しばらくして、時計をみる。

 

夕食までにはまだ時間が有る。

 

せっかくなので外を散歩してみることにした。

 

念の為に、趣味の龍笛も持って行く。

 

宿を出ると、裏手に登り階段があった。

 

林に囲まれた歩道だ。

 

「もしかすると」と、気持ちよく笛の吹ける場所があることを期待して進む。

 

十分くらい歩くと、ベンチが置かれた休憩所があった。

 

「スーッ」と、涼しい風が吹いてくる。

 

林のすき間からは、河口湖がみえる。

 

反対側には富士山もみえた。

 

辺りは木々に覆われ、人は誰もいない。

 

早速、笛をとりだして息を吹き込む。

 

河口湖を眺め、富士山を仰ぎ、自然のなかで奏楽する。

 

またまた、優雅な気分に浸った。

 

さて、宿に戻り夕飯をいただいていると、食堂から夜の湖が綺麗にみえた。
 

夕方とは違い、湖面には月の光がキラキラと輝いている。

 

素敵な光景だ。
 

こうなると、湖へ行ってみたくなる。

 

肌で夜の湖を感じてみたいではないか。

 

でも、ただ眺めに行くだけではつまらない。

 

そこで、ランニングをしながら夜の空気を味わうことにした。

 

高台を下り、遊覧船の発着場からスタートだ。
 

さすがに夏なので、すぐに汗だくになる。

 

しかし、空気はサラリとしていて清々しい。
 

しばらく走ると、河口湖大橋にさしかかる。
 

さえぎるものがないのは、爽快だ。
 

遠くには湖を囲む山々が見える。
 

辺りは、かすかに虫の声が聴こえるだけだ。
 

湖には月影が映っている。

 

神秘的だ。
 

これまた、優雅な気分に浸ってしまった。
 

月影は、仏さまの慈悲として例えられることがある。

 

私もそのことを思い出しながら走る。

 

こういうときは、よく出来たお坊さんであれば、仏さまに感謝しているはずだ。

 

「優雅なひとときを提供してくださり、ありがとうございます」。

 

ところが、私ときたら。

 

気がつくと、「こんな幸せを、ずっと提供して下さい」とお願いをしていた。

 

どうも卑しくていけない。

 

こんな坊主では、河口湖大橋は渡れても、三途の橋はますます渡れない。

 


法然上人がお詠みななられた、和歌がございます。
 

『月影の 至らぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞ澄む』
 

【浄土宗宗歌】
(月は、どこにでも光をそそいでくれる。おじように、仏さまも御慈悲をそそいで下さる。
月の光も仏さまの御慈悲も、自分自身がそのことに気がつくことで、はじめてきちんと受け取れる)

 


ありがとうございました。