かしこい鳥 | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

書類を届けるために、ちょっと離れた大きなお寺さんへ行った。


駐車場に車を止めると、まずはお堂の前に進み合掌礼拝をする。
 

それから、受付のある会館へと緊張しながら向かう。

 

初めて行くお寺だったのだ。

 

さて、入口の扉をあけ中に入ろうとすると、いきなり「おはよう」と挨拶をされた。

 

しかも、かなり高めの声で。
 

「んっ」と不可解に思いつつ声のする方に目を向けると、「九官鳥」だった。
 

少し驚いたが、せっかくなので、こちらも「おはよう」と挨拶をした。

 

受付の方によると、毎日挨拶をしていたらいつのまに覚えてしまっていたそうだ。

 

とてもあたまがいいようである。

 

あたまのいい鳥といえば、子供の頃のことが思い出される。

 

母親が縁側でカラスに餌をあげていたことだ。

 

本当は、野鳥に餌をあげてはいけないのかもしれないが……。

 

そのカラスは、毎日夕方になると縁側近くの壁の上にやってきた。

 

母はその姿を確認すると、「ハイハイ」と返事をしながら縁側へ出て行いく。

 

そして、静かに待っているカラスへめがけて餌を投げてあげていた。

 

あげていたのは、パンの残りだったり、ドーナツの残りだったりしたと思う。

 

カラスはそれを上手にキャッチ。

 

ひとしきりあげおわれば、両手を広げて「おしまい」と声をかけてあげる。

 

すると、カラスは飛んでゆき、母は家の中に戻ってきていた。

 

日頃から母は、「なかよくしていると、外に出しておいたゴミをあさったり、繁殖期でもおそったりしてこないのよ」と言っていた。

 

実際のところはよくわからないが、その通りならカラスにも恩情があるようである。

 

母の手なずけも、なかなかだが……。

 

賢い鳥といえば、もうつ一つ、お念仏を唱えていた鸚鵡の法話を思い出す。

 

その昔、あるお坊さんの家の近くに鸚鵡が住んでいたそうだ。

 

そのお坊さんは、朝晩かかさず念仏を唱えていた。

 

おかけで、その声がいつも鸚鵡の耳に入ってきていた。

 

すると、いつのまにか鸚鵡はそれを覚えてしまい、お念仏を唱えられるようになっていたそうだ。

 

純粋さが薄れている私は、「まさか」と思わなかったわけではない。

 

でも、九官鳥やカラスのことを考えてみると、さもありなん。

 

大変に有り難い鸚鵡がいても、、摩訶不思議ではなさそうだ。

 

 

鴨長明さまの「発心集」に、以下の御記がございます。
 

『中ごろ、唐土に朝夕念仏を唱える僧がいた。その住まいの近くに鸚鵡という鳥が巣を作って住んでいた。念仏の声を聞くのが習慣になり、あの鳥の癖で、口まねをして、いつも『阿弥陀仏』と鳴いていた。人は皆、これに感心して褒めていたが、時が来てこの鳥が死んだ。寺の僧たちが、遺骸を取り収めて穴を掘って埋めたところ、そこから蓮花が一本生えて来た。驚いて掘り返してみると、あの鸚鵡の舌が根となって生えていた』
 

【角川文庫 新版・発心集(下)現代語訳付 鴨長明  浅見和彦・伊東玉美=訳注 p283】
 

 

ありがとうございました。