71年の時を経て、「戦艦武蔵」らしき船が南方の深海で見つかったそうだ。
英霊の方々には、謹み敬いましてご供養お祈り申し上げます。
ときに、お参りの際や、お食事の席で大東亜戦争のお話をしてくださる方がいる。
お話を伺っているだけでも、身体が熱くなり、胸が締め付けられてきてしまう。
たとえば、「千葉の海岸から東京の方面をながめると、赤くなっていたんだよね。空襲だよね」と、子供の頃にみた光景を教えてくださった方。
あるいは、「戦闘機が残った弾を撃っていくんだと思うんだよね。働いていた倉庫に射撃されたことがあるんだよ」と、怖かった経験を伝えてくださった方など。
私のようなものには、その方々が味わった真の恐ろしさを、身を以て理解することは出来ない。
自分の力ではどうにも出来ない武力攻撃を受ける脅威は、計り知れない。
一方で、戦闘機に乗って攻撃をした方の想いを読んだこともある。
「攻撃した戦闘機が墜落していくとき、相手の顔がみえた。表情は苦しそうに歪んでいた。今でもはっきりと記憶に残っている。そして、何十年経っても心が痛んでいる」といった内容が記されていた。
言葉がでない。
さて、話は平家物語に変る。
物語に記されている蓮生房・熊谷直実さまは、法然上人を慕っておられた。
源氏方の武将である
直実さまは、一の谷の合戦の後、敗走している平家の大将を打つ為、海に沿って追走した。
まもなくして、みごとに追いつくと、戦いの末、いよいよ討ちとろうとする。
ところが、そのとき大将の顔がみえた。
とても若かった。
おそらくは、自身の息子と同じ年頃である。
それもそのはず、大将はわずか17歳の平敦盛さまだったのだから。
その瞬間、直実さまは考えた。
「この方の首を取っても取らなくても戦の行方には影響しない。ならば、見逃してやろう」と。
いくら大将とはいえ、息子と同じような若さの敦盛さまを討つのは忍びなかったのであろう。
だが、源氏の大軍は近くまで迫ってきている。
再び悩んだ。
「今ここで、私が首を取らなければ、間違いなく他の源氏兵に取られてしまう」から。
時間はない。
ついに、胸が張り裂けそうになりながらも、「どうせ討たれてしまうなら」と、自らの手で討つことを選択した。
この後、直実さまは、仏道への思いが大変強くなっていく。
法然上人を訪ねて、「いかにしたら救われるのか」と教えも求めたそうだ。
とてもこころが痛むはなしである。
いずれの話しも、戦は皆が嫌なおもいをすることだとわかる。
戦争をしてはいけないと、改めておもう。
平家物語に、以下の御記がございます。
『後に聞けば、修理大夫経盛の乙子、大夫敦盛とて、生年十七にぞなられける。
それよりしてこそ、熊谷が発心の心は出で来にけれ。』
【角川文庫 ビギナーズ・クラシック 平家物語p197】
『同じうは直実が手にかけ奉つて、後の後孝養をもつかまつり候はん』
【角川文庫 ビギナーズ・クラシック 平家物語p196】
ありがとうございました。