先輩のお寺で米粒名号について話をした。
米粒名号とは、「南無阿弥陀仏」と記されている米粒のこと。
大正時代の高僧・山崎弁栄上人が最初に書き始め、「阿弥陀さまのご加護がありますように」と多くの人に渡したそうだ。
現在も書いている和尚さまがいるが、初めてその姿をみたときは「どうなっているんだろう」とビックリした。
と同時に、無謀にも「書いてみたい」と思い和尚さまに手解きをお願いした。
先輩のお寺では手短に説明をすませ、「論より証拠」、早速その場で書くことにした。
とは言うものの、人前で書くのは初めて。
私は大勢の信者さんに囲まれる。
「上手く書けるかな」と手が震える。
「失敗したら恥ずかしいな」と不安にもなる。
気持ちを落ち着かせるために、ゆっくりと筆と米粒を机に用意する。
すると、「当たり前だけど、米粒小さいな」とどこからか。
そして、皆がザワザワしはじめると、「みなさん、繊細な作業ですのでお静かに」と先輩が。
しかし、気遣いをしてくれたのは有り難いが、「イヤイヤ、静かすぎると返って緊張しちゃうよ……。」と心の中で。
いよいよ、静寂の中で書き始める。
しばらくすると、私の隣にいた男性にその近くの女性が「あなた鼻息荒いと、お米が飛んじゃうから気を付けなさいよ」と小声で。
その言葉で一気に皆が和やかな雰囲気となり、私の手の震えも収まった。
無事書き上げ、皆さんに虫眼鏡で確認してもらうと「鳥肌立っちゃう」と興奮気味に喜んでもらえた。
「ホッ」とした。
皆さんが帰る際には、事前に用意しておいた「米粒名号お守り」を全員に渡した。
「うれしい」、「ありがとう」と、再び喜んで頂けた様子。
念仏を称えることは、阿弥陀さまに救っていただくための大切な行い。
私は、説教ができたり読経の声がよかったりするわけではないので、何か別の方法で大切な行いを伝えられたらよいな、と考えている。
米粒名号がその1つとなるのであれば、僧侶冥利につきる。
皆さまに仏さまのご加護がありますように。
《観無量寿経》に、以下のような御教えがございます。
『「よくよく知っておけ。もし念仏する者は、この人こそが〔煩悩多き〕人々の中に〔咲く、汚れなき〕白蓮華〔のよう〕である。〔そして〕観世音菩薩と大勢至菩薩がその人のすぐれた友(勝友)となるのである。〔未来には〕悟りを開く座に坐るべく、諸仏の家系に連なるのである」〔そして最後に〕釈尊は阿難に仰せになった。「汝、〔今、私が説き示した〕この教えをしっかりと胸に刻み込め。この教えを胸に刻み込めとは、無量寿仏の御名を胸に刻み込め、ということに他ならない」』
【現代語訳 浄土三部経 浄土宗総合研究所編p226】
ありがとうございました。