こんにちは、ジンライです。


今回は、3回に渡って取り上げたターンエーガンダムの最終回になります。

前回お話しした「師匠」の記憶の他にも、このターンエー製作時には、私を助けてくれる出来事が連続して起こりました。

水性塗料ファレホが、近所のリサイクルショップで、50本位のセットで、5,000円弱で売られていました。

ターンエー製作を進め、ファレホを塗装に使うと決めた途端、近所で安く大量にファレホを入手できたのです。

これはありがたい追い風です。


そして、運命的な再会がありました。


話は20数年前に遡ります。

馴染みの玩具店に行った時に、やはりプラモが好きだという方が来ていました。

私はその方とは初対面でしたが、話してみると話が合いますし、偶然にも私の小学~中学時代の友人の従兄弟の方でした。

話しているうちに、「私がミンキーモモのプラモをたくさん持っている」という話題になりました。

※前に、押入れ整理の記事で取り上げましたね。

「良かったら1個、譲ってもらえないか?」

その方が仰るので、お譲りする事にしました。

元々全て定価で入手したものなので、300円で1個お譲りしました。

その後、その方とはほとんど会う機会もないまま、私はいつしかプラモの世界から一旦離れました。


……そして、20年が経ちました。


私は連続して大きな病気を経験し、身体的なハンディキャップを負いました。

入院時にモデラー復帰を決めていたので、退院後、塗装ブースを自作したり、食玩をファレホで塗装したり、試行錯誤をしていました。

そんな時に、再会した方がいました。

それは、20数年前にミンキーモモをお譲りしたあの方でした。
そして、ミンキーモモが繋いでくれた縁が、新たな展開を呼びました。

その方は、ご友人を病気で亡くされていました。

ご友人はガンプラを作られていました。その方の作品を展示するため、再会をしたその方は、地元の神社に「のんび里館」を作られていました。

詳しくは、その方のブログをご覧いただければと思います。
20年ぶりに再会したその方は、私のブログによくコメントをくださる「赤い羽根のCB」さんです。

※なお、私の師匠とNさんは別人です。


そして赤い羽根のCBさんは、私の病気のことを聞き、私のために、のんび里館に展示スペースを用意してくれました。

それが「ジンライのプラモコーナー」です。

私の作るガンプラは、約1,300年の歴史を持つ大前神社に展示することができるようになったのです。

大変ありがたいことであり、赤い羽根のC
Bさんには深く感謝をしています。

私は、ガンプラの新作を展示していくことで、「のんび里館」をアップデートしていくという事になります。

こうして、製作中だったターンエーは、ここに展示される病気後の最初の作品となったのです。


私の想いを書いておきました。

ガンダム試作2号機は、病気前に作ったプラモの代表的作品です。

そしてターンエーは、病気後に作った初の作品として、ジンライプラモコーナーにとって特別な存在です。

いろいろな方の助けにより、ターンエーは展示に至りました。
皆様のお力添えに感謝いたします。


ジンライプラモコーナーの代表的存在として…

子供達が見て、プラモに興味を持ってもらうきっかけとして…

もし苦しんだり、弱ったりしている人が見たら、その人が少しでも強く前に進めるようにとのメッセージを込めて…

「頼んだぞ!
 俺のターンエーガンダム!」

今回は以上です。

今日もプラモから元気をもらいました。
ご覧いただきありがとうございます。

それでは、またニコニコ