広場には屋台もたくさん出ていて、なんとも賑やかだ。かき氷、綿菓子、焼き鳥にビール。どこからか漂ってくる蚊取り線香の香り。日本の夏は、本当にいい。
前方に目を向けると、大勢の観客たちが今や遅しと花火の打ち上げを待っている。こんなに蒸し暑い夜なのに、みんなすごく幸せそうだ。大人も子供も、日本人は祭りが好きなんだなと、つくづく思った。
「そういえば花火の起源って知ってる?」
「戦いの狼煙(のろし)でしょ」
ワカらしい戦闘的な答えに、僕は思わず噴き出した。
「まあ、中国で狼煙のために使われていた火薬が花火の先祖であることはたしかなんだけどね。日本では江戸時代に八代将軍徳川吉宗が慰霊と鎮魂のために隅田川で打ち上げたのが起源になっているんだ」
「慰霊と鎮魂か。だから夏に打ち上げることが多いのね」

小野寺S一貴・著
【命と魂の長いお話】より抜粋
7月27日(土)。
ついに打ち上げ花火を上げることができた。
なんだか一個人が持つには大それた夢だったし、いつか機会があればやってみたいと思っていたのだけど、どうしても今年でなければならない事情が生まれてしまっていた。
ずっと胸に秘めていたのだけれど。
私が今年、花火を上げたのは、無理をしてでも上げたのは、多くの人たちを巻き込んで上げたのは……
まさに慰霊と鎮魂の思いが私の中にあったからだ。
だけど、そのために花火を上げるのだとは言いにくかった。
何様だと思われるのもシャクだった。
私は何様でもないし、何者でもない。
ただのひとりの人間だ。みんなの力を借りないと、うまく生きていけない人間だ。
自分の力のなさなんて、悔しいけれど自分が一番よく知っている。
出過ぎた真似を、という人も正直いたし、目立つために花火をするんじゃないか、と陰口を叩く人もいた。
正直に言うと、当日も「こんなことよくやるね、バカバカしい」という嫌がらせのような声も届いたりした。
好きに言ってくれ。
私はどんな理由があっても今年、花火を上げたかった。
そして、そんな声よりも私には大きな力が集まった。
何も言わないのに協賛してくれたファンの皆さん、当日、遠くから足を運んでくれた人たち、駆けつけてくれた友人たち(特にG歯科のヒロミさん、貴女が来てくれて本当にうれしかったよ。ありがとう)、神社に行くまでいろいろ助けてくれた身内と仲間、そしてあれだけの規模のお祭りを、実質ふたりでやってのけた八坂神社の佐山権禰宜夫妻、私の「慰霊と鎮魂、生と死、そして生。だけれども見ている人が儚くて美しいと思うような、余韻が残る日本の夏の物語」というイメージを見事に表現してくれた芳賀火工のカッコいい社長、ありがとう。1言えば10伝わる人は、ちゃんといる。
そして……あの人は……あなたは見てくれただろうか。
空の上で、いや、少しだけ地上に戻って。
あの花火を……。


人ごみの中にチラリと見えた桜色のスニーカーが、私に「イエス」をくれた気がした。

と、いうわけで。
私はもう、やりきったので、もう本当にしばらく倒れます。
何も考えず、傷を癒しながら、眠りにつくのです……。
もしもあなたが疲れたならば。ここにおいで
私ができるのは、あなたに思いを伝えることだけなのです